十字架の街 2

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   十字架の街 2



 その日、僕は突然、下宿の部屋に飛び込んできたトランに、決闘が行われることを知らされたんだ。トランによれぱ決闘を見たいなら、場所取りが必要だと言う。それで僕らは二人してさっそく決闘の行われる場所に駆けつけた。
 ところが、すでに周囲の通りは人々でごったがえしていたんだ。けれどトランは要領がいいと言うか、僕の首に碗をまわして僕をしっかりと引き寄せ、人込みの中を押し分け押し分け進んで行き、僕が人息でふらついている間に、屋根の上がはっきりと見える場所まで連れていってくれたんだ。なるほど場所慣れしていると言うか、記者とはこうでなけれぱ勤まらないのかと感心させられたよ。
 さて、ここからは実況で行こう。
 決闘の行われている家の周囲は、すきまもないほど人が押し寄せてきている。周辺の家々の窓からも人々があふれ出し、周囲の屋根の上にも見物人たちが密集している。屋根が崩れ落ちないかと見ているほうが心配になってくるほどだ。
 決闘の行われる家の屋根の上には決闘者の二人きりしかいない。他の者は、決闘の行われる屋根に指一本でも触れてはならないと言うのが決闘の掟だからだ。
 戦いが始まる。剣の触れ合う音。見物人たちの声援。野次。
 戦いの最中、屋根から転げ落ちるのを防ぐために、決闘者たちが自らのつるぎを屋根に突き立てて体の勢いをとめ、屋根からすべり落ちるのを防ぐ。そのため屋根に張られている瓦が割れたり剰がれたりする。
 こうして決闘者たちが、瓦を派手に落とす音も加わる。見物人たちはいっせいに頭をおおう。その上に割れた瓦が次々と落下してくる。危険なのだが、見物人たちは頭をおおいながらも太喜ぴだ。
 屋根から落ちれば、決闘者だけでなく、下にいる見物人たちも大怪我だ。いや、それだけでは済まないかもしれない。
 これだけ命をかけていると言うのに雰囲気が、なぜだか陽気なんだな。活気に満ちあふれていると言うか。興奮していると言うか。不思議だろ? そう思ってトランに言ってみたら、みな浮かされているのさ、と記者らしく少しばかり皮肉げな返事が返ってきた。
 傾斜のある屋根の上での決闘には、身軽さと平衡感買う、それに加えて剣の腕。高所恐怖症でないこと。などなどの高度な困難さが要求される。しかし、何よりも名誉をかけた決闘であると同時に、これは見物する人々にとっては遊び感覚、見せ物感覚でもあるのだ。
 そこが一種、不思議なところでもある。
 びどく足場の悪いやねの上で、なぜ戦うようになったのか。
 見物人が見物しやすいようにとの説もある。地上で決闘を行えば、地上で見物できる人数は限られてくる。けれど決闘者たちが、見物人たちよりも高い場所にいれば、見物できる人数も増えると言うものである。もともと人々に決闘の結果を見せつけるのが目的だったのだから。
 また屋根から落ちれば、大怪我か死が待つと言う危険性が、決闘をする者たちの勇気を誇示する道具に使われていたと言う説もある。
 同時に見る者を興奮させると言う機能をも果たしている。
 けれど、はっきりとした理由はわからない。いつのまにか屋根の上で戦っていた、と言うところだろうか。
 この時の決闘は、青いチョッキを着た男の方が勝ち、つるぎを屋根に突き立てる場面が見られるかと思ったら、いきなり複数の人間が屋根によじ登り、青いチョッキの男のつるぎを屋根に固定させる簡単な工事を行った。見物人たちは、たった今見た決闘についてあれこれ喋りながら、それを見ている。つるぎの取り付け工事が終わると、取り付けられたばかりのつるぎに手を当て、青いチョッキの男が片手を挙げて勝利の宣言をする。
 するといっせいに男の勝利を讃える言葉が、次々と見物人たちから浴びせられた。そしてそのまま見物人たちは持ってきていたアルコールやら何やらで祝宴をし始めてしまったんだ。まるでお祭り騒ぎだ。
 人ごみで、ごった返しているから抜け出すのに一苦労したよ。何とかトランがひっぱり出してくれたけどね。
 どうやらつるぎを屋根に本当にじかに突き刺すことは、今では行われていないらしい。
何しろ屋根の素材が昔とは変わってしまって、つるぎを刺すことができないからだとトランは説明してくれた。
 しかし、つるぎの差し方は変わったかも知れないけれど、人々の興奮具合は昔から陽気なお祭り騒ぎで変わらないようだ。老若男女、祭りが好きで、決闘が好きで、騒ぐのが好きで、陽気なのが好きで、アルコール好き。そんな感じだろうか。
 僕は昔から。教会の屋根の上の十字架を見るのが、なぜだか嫌でしょうがなかったんだ。教会の塔の上で、十字架がさんぜんと輝いて威厳を示していると言うよりは、塔に無残にも十字架が突き立てられて、教会が何かに支配されているように見えて、その教会に入る自分も何かに支配されているように感じられていたんだ。
 屋根に刺さっている十字架のようすは、少し恐ろしげに、栄誉と言うよりは、罰のように見えてしかたがなかった。かかげていると言うよりは、教会に突き立てられ、痛めつけられているように見えて、痛ましくてしかたがなく感じていたんだ。
 けれど、この街では「実際に」「本物の」つるぎが、屋根に突き立てられていると言うのに、なぜだか痛ましくは感じられない。陽気な雰囲気のせいだろうか。
 さて、こんな風にどこか陽気で明るさに満ちた街で過ごしているうちに、僕は旅の途中で出会ったいくつかの哀しみや疲れが癒されていくのを感じて、しばらくは心地よい日々を送っていたんだ。
 そんなある日、僕はある二人と知り合いになった。

    連載第3回へと続く