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 ひとつの街の話をしよう。私がかつて、しばしの間、学生時代を過ごした街。その街に私は下宿していた。忘れられない街。そして今はもうない街。
 街。いや規模から言えば町どころか村程度だ。
 私が下宿していた当時は、昭和もすでに後半期に入り、ゴルフ場や巨大な娯楽施設が大都市郊外に次々と作られていた。そんな時代だった。
 N市に最後に加えられたM区の中央よりやや東よりに、その街はあった。
 地図で見てみるとその街は、小高い丘陵地帯の一角にあった。北側に続く丘陵地帯には右側に巨大なゴルフ場、左側に広大な緑地公園が広がっている。
 そして南東側に広がる丘陵地帯には、キリスト教系の大学。一番高い丘陵のてっぺんには白壁にオレンジ色の三角屋根をした塔が見える。かわいらしい西洋風建築だ。その南側のやや低めの丘陵地帯には付属の幼稚園、小学校、中学校、高校。どの建物も白い壁に鮮やかな青い屋根をしていたり、煉瓦風の建物や、アーチ型の窓を持っていたりして洒落た建物だった。特にそれぞれの建物についている軽やかな音を立てる鐘を持っている塔は、まるでおもちゃのように可愛らしく目を引いた。
 そして西側の端にある、やや高めの山が、山の中腹にある県立商業高校を挟んで隣町にあたる田舎町につながっていた。仮にこの町を西町とでも呼んでおこう。この西町をさらに西に行くとM区役所があり、M区の中心部へと続いてゆく。
 こうして地図で見ると、その街の辺りは学園地帯と言えないこともないが、実際には大学の南側に県道が走り、駅も町も南側の兵地帯に発展していたために、大学北側のその街に足を踏み入れる学生は、私のような変わった下宿生ぐらいだった。
 その街には、バス路線ですらなかった。もちろん駅もない。アルバイトや外出の時の利便性を考えて、ほとんどの下宿生は南側の町・・・仮に南町と呼んでおくことにしよう・・・に下宿を借りていた。
 また街の西側にある西町から入ってくる人間もいなかった。西側の町からの道路は、県立の商業高校で終わっていたからである。一応登山道を通れば、西町からもこの街に入ってくることもできたが、そんなことをする人間は誰もいなかった。そして北側に広がるゴルフ場の柵を越えて入ってくる者などがいないことは、言うまでもないことだ。第一、道がなかった。そして緑地公園とその街との間は大きな池でへだてられていた。
 そんなこんなの理由が重なって、その街に入ってくる余所者はめったにいなかった。しかし何かの間違いで、その街に足を踏み入れてしまった余所者は、他の街ではできない経験をすることになる。

 この街の最大の特徴は、その道の複雑さにあった。
 現地人でも迷子になる。幅の狭い道が複雑に入り組んでいる上に、途中で道が途絶えていたり、道の途中で突然階段になったりしている。だから自転車でも、いや、徒歩であっても、とにかく道の先がどうなっているのかを知らない人間が使うには危ない道だった。
 その道も石畳の道だったり、土が剥き出しになったままの道で夏に草が生い茂ると歩けなくなる道、雨が降ると小川となってしまう道、一応アスファルトではあってもでこぼこで、時には道の真ん中に穴まであいている道なんてものばかりが、あちこちにあった。
 こんな不可解な道がいくつもあった。たとえば、道を歩いていると突如道が途切れ原っぱが現れる。行き止まりかと思っていると、三~四メートル離れた原っぱの中に道の続きがなにくわぬ顔で現れて向こう側に続いているのが見える。向こう側から歩いて来れば、今、自分が歩いてきた道が原っぱの中に現れたように見えるだろう。まるで道の一部が突然何の痕跡もなく消えてしまったかのようになっているのだ。
 人の道案内を果たすべき道が、この街ではどれもこんな調子なのである。この街の道は、人を案内する気がまったくないらしいのだ。それどころか、人を迷わすために、そこにあるとしか思いようがない道ばかりが、その街には張り巡らされていた。
 しかも街灯がまったくない。だから街に二つある池のひとつには、ひと月に一回は車が落ちた。これがこの街の死亡原因の第一位だった。第二位は迷子になって何日も街から出ることができずに遭難する行き倒れである。特に冬は多かった。もっともほとんどが間違って街に迷い込んだ余所者だったが。
 池には柵なんてなかった。『この池危険』の立て札すら一度も立てられなかった。この池は街の北側、大学との境にあった。大きい池と、少し大きい池だ。どちらも角の取れた三角形の形をしており、地元の人間は二ツ池と呼んでいた。車が落ちるのは大きい方の池だった。
 その街にはマンションのような高い建物は見当たらなかった。それどころか一軒家であっても現代風の建築物はひとつも建てられていなかった。ただ昔ながらと言うより、戦前から使われているとしか思えないような漆黒に近い焦げ茶色の木造の和風家屋ばかりが立ち並んでいた。せいぜい二階建てだ。だから、この街に入ってくると、まるで時代が五十年はさかのぼったかのように感じさせられた。
 いったん街中に入り込んでしまうと、その風景は、暗い焦げ茶色の木の壁に囲まれたような日本家屋と、どれも似たような生い茂る緑の木々ばかりになる。人と出会うことも、なぜかない。住んでいるはずなのだが、せいぜい朝の通勤通学時間帯に、どこでも見かけるような典型的な学生や社会人のまばらな姿を目にするぐらいだ。特に夜はまったく見かけない。
 とにかく何も目標となるものがないのである。街の中心に高い目立つ建物でも建っていれば、その建物の方向で自分の位置をはかることもできるのだが、そんなものは、まるでなかった。
 その上、どう考えても一方通行の道路としか思いようがない狭い道幅。私は当時、この街のすべての道路に片側通行の標識がないことを不思議に思っていたものだった。いや、それどころか自動車が走れるのかいぶかしんでいた。しかし車庫に車が止まっている家を見ることはあった。が、この街の道を走っている現地の車は見たことがない。進んでも進んでも細い入り組んだ迷路で、立ち往生しても狭すぎてレッカー車も呼べず、結局乗り捨てられている車は必ず余所者の車だ。
 そんなわけで街に入ってしまうと、狭い道幅におおいかぶさるようにして建っている、どれも似たような焦げ茶色の家々や、あちこちに生い茂って遠景を塞ぐ背の高い木々のために、街に迷い込んだ人間たちは遠くを見渡すことができない。
 まるで迷路である。
 外国には迷路のように入り組んだ街があると聞いていたが、日本にもあるとは、この街に来るまでは知らなかった。それも、こんなに身近に。しかも外部から見ると、こんなにも自然な状態で街として何食わぬ顔をして存在しているのだ。街に入って遭難しかかるまでは、危険な迷路の罠があるゆる場所に仕掛けられていることに気づかない。
  たとえば迷路のようにいりくんだ街であっても、街が狭くて町内皆顔見知りと言うのであれば話は別だが、この街はかなり広い。しかも町内会も存在しない。だから知り合いなんて隣近所くらいだ。街には商店街どころか一軒の店もないし、交番すらなかった。買い物は私の場合、大学の帰りに駅のある町まで出て買い込み、大学まで戻って、さらに街の下宿先まで自転車で帰っていたものだ。他に方法はないから、だいたい皆同じようにしていたのだと思う。
 なぜ、こんな一軒の店も街灯もないような不便な土地に住んでいる人々がいるのか、下宿当時の私にはわからなかった。私の場合は、単に安くて広いと言う理由だけだったのだから。私は木造家屋の離れの平屋を借りて下宿していた。家賃は半分なのに、学生マンションの数倍の広さは、大量の本を抱え込んでいる私には、有無を言わせぬ魅力だった。その上、住所を教えても押しかけてくる友達はひとりもいなかった。なにしろ、こんな街だから特定の家を見つけ出すことなんて、余所者には無理はことなのだ。住んでいる者でも無理なのに。
 もっとも当初は、何人か私の下宿を訪ねようとした連中がいたことは確かだ。遠くの家に帰るのが面倒になった時に、私の下宿を思い出したらしい。けれど実際に下宿に姿を見せたのは一人もいなかった。私もわざわざ出迎えにはいかなかった。何しろ自分が迷子になりそうだったからだ。たとえ道を誰かに聞きながら歩いたとしても、説明された道自体が、ちゃんとそこに存在するかどうかはあてにできないのだから、迷わずに目的地にたどりつけるはずがないのである。
 そう。私も当初、よく迷子になって、一晩中、明かりのほとんどない静まり返った街中を歩き回ったり、道端で夜明かししたことが何度かあった。さいわい冬までには何とか、一応よく使う道だけは覚えることができたので、凍死はまぬがれたが。

 なぜ、この街がこんなことになってしまったかと言えば、長い間、この広い地域がすべてある特定の個人所有の土地だったかららしい。どんな事件が起ころうと、私道に勝手に入ってきて私有地の池に勝手に落ちたのだから知ったことはない。道路の途中から階段にしようと勝手だ。万事が万事こんな調子だったのかどうかは知らないが。とにかく、この一帯は、すべての道が複雑に奇妙に入り組んだ上に、その道の構造自体も常識とはかけ離れている一風変わった区域になってしまっていた。
 なぜ所有者が、こんな状態にしてしまったかは不明である。自分の土地の中で、まばらに人に土地を貸したのか。
 少なくとも道が最初に作られたのではないことはたしかである。建物が先に無秩序に作られ、その後に家をよけながら何とか道を作ったという感じなのだ。
 ある日、突然道が消えていたり、通行止めになっていたことまでもあった。新しく道が作られていたことも。誰がいつ作っていたのか、今でも不思議に思っている。どこが道と言うことがはっきりとしていなかったのだ。
 ある時など、ある家の隣の場所に、いつも車がとまっているから駐車場だと思い込んでいたのに、たまたま日曜日にも学校に行く用事があった日に、その場所を通ってみたら車の姿はなく、いつも車がとまっていた場所が道だったのに気づいたことがある。
 つまりその車は狭い道を、日曜日以外は、ずっと塞いでいたのだ。日曜日にだけあらわれる道と言うわけだ。それとも、その道は車の持ち主の、あるいは借りている土地だったのか。すべては謎である。
 そんな街が存在することすら、同じ区内でも、整備された区域の町に住む人々は知らないだろう。地元民以外は近づきすらもしない区域だからだ。と言っても犯罪多発地区と言うのではない。のんびりとした郊外の住宅地だ。もっともそう言い切るには、少しばかり不可思議な魅力を秘めていると思うのだが。

 今は、この土地の所有者が土地を手放し、国が管理するようになっている。国が管理するようになってからは、池の周辺には柵が張りめぐらされ、念のために車乗り入れ禁止区域になり、道も整備された。人が転びやすい石畳は撤去され、土の道は廃止されるか、コンクリなどで整備された。でこぼこ道はすべて修理され、道幅も広げられた。道の途中で階段になる道も、人が歩けないように取り壊された。切れ切れになって行き止まりになっていた道も、すべてどこかの道に通じるようになった。狭い道には一方通行の標識が立てられた。雨が降ると川になる道には用水路がつけられた。路上駐車の取り締まりも行われるようになった。
 おかげで迷子は、ぐっと減り、遭難者も出なくなったようだ。おまけに、やっとのことで市内地図にも、この街の道を表示できるようになったらしい。私が下宿していた当時には地図がなかったのだ。あったとしても地図上の道が現実に存在するかどうかは、その場所に行ってみないとわからない上に、道がしょっちゅう変わるから役には立たなかっただろうが。

 こうして、あの街は普通の町らしくなった。だが、かなり家を移動させたり、立ち退かせて壊したようだ。今では、この街にもマンションが建っている。オレンジ色の屋根をした、かわいらしい大学の建物に似た雰囲気を持つ洒落た洋風輸入住宅までも、あちこちに建ち並んでいる。
 まるで姉妹のようだ。それらの家々は暗い焦げ茶色をしていない。白だったり、薄いピンク色だったり、薄青、たまご色、クリーム色。そのどれもが明るいおもちゃめいた色をしている。芝生や小さな花園で飾られた明るい庭は暗い壁で隠されてはいない。
 どれも新しい建物のため、こぎれいな雰囲気になってしまった。もう古びた木造家屋はほとんど残っていない。たまに残っていたとしても木々や草の間で崩れ、誰も住んでいない。
 今では清潔で安全になった道を車だけでなく、バスも走っている。近々駅もできる予定だと聞く。
 だから残念ながら、かつての街の面影を見ることはできない。ただ周辺の古くから住む住民からは、この辺りの区域は『翠芳園』と未だに通称で呼ばれている。もちろん地図上では、国の妙名した地区名しか見ることはできないのだが。
 『翠芳園』と言うのは、かつてのこの土地の所有者が作った庭園の名称である。この不可思議な区域の所有者の住処でもある。ちょうど街の中央部に位置していた。
 この庭園は、まだ私が下宿していた当時には零落はしていたが見ることができた。もちろん崩れかかった茶色の木壁の間から勝手にだが。
 すっかり寂れてはいたが、巨大な日本庭園と池の上に浮かんでいる能舞台のような建物が、生い茂る緑の草木の間から、とぎれとぎれにかいま見えた。また別の崩れかけた木壁のすきまからは、すっかり戸が閉ざされている、これもまた大きな木造の平屋を見ることができた。この平屋には誰かが住んでいる気配があった。だが結局、一度も住人の姿を見ることはないまま、私は街を離れてしまったのだが。この音のない家屋には、一体どんな住人が住んでいたのだろうか。老人がふさわしい気もするが、ひょっとしたら盲目の詩人だったかも知れない。あるいは迷路好きの学者か。
 あの頃、壁は壊れかかっていたのだから、侵入して確かめることもできたのだが、なぜだか侵入しがたい空気があった。まるで、この街の複雑に入り組んだ道のように、不慣れな人間を遭難させ、時には死に至らしめるような。
 勝手に迷うのは人間の方なのだが、街自体が意思を持って、人間を迷わせているような感覚にさせられる。そんな感じがした。
 かつての大庭園は、今は見る影もなく規模の縮小された民家の庭といった風情で、一応存在はしているが、国の管理になってからは、まるで味気ない雰囲気に変わってしまった。もちろん住人はいない。たんなる国の管理物だ。何故だか国に管理の手がうつると、放置されるのはしかたがないとしても、それまでの所有者が持っていた毒々しさとも言えるような、くどいような、時には癇に障るような個性がきれいに消し去られて、魅力を失ってしまうのは残念だ。見る影もないと言うか。見やすくなると言うべきか。
 あの複雑な迷路のような街。狂おしいほどのなつかしさを感じる。複雑な道だけが魅力なのではない。それでは何が魅力だったのかと言えば、ひとことでは答えられない。もう一度、あの街へ行くことができれば、その魅力が何だったのか確かめられる気がしているのだが。
 決して行くことはできないあの街に。
 あの街は、特殊な状況の中でつくられてきたものだったのだから。その特殊さゆえの魅力だったのかも知れない。
 だが本当は確かめられなくてもいい。ただもう一度あの街の中で呼吸をしてみたいと、せつに思っているのだ。無理なことはわかっていると言うのに。
 こうして街のことを思い出しては、もう存在しないことに改めて胸が痛む。もう見ることはできないのだと。そして再現することもできないのだと。あるいは新しく作ることすらできないだろう。町ひとつ分の土地を所有することなど個人には不可能だ。ただこうして思い返すことしかできない。
 迷わないように手入れされた道の中で、私は人を迷わせてくれる道を今も無意識的に探している。あの魔のような魅力をたたえた街へ続く道ではないかと言うあまい期待を感じながら。

     終わり