執事の旅支度

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執事の旅支度

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 「セリスよ、シュルノワールズ湖へ一週間ほど旅行に行くぞ」
 旦那様のそのお言葉により、わたくしは今回のご旅行の支度を始めました。

 わたくしは長年、ラインフォード卿の執事をつとめさせていただいておりますセリスと申すものでございます。ラインフォード卿は、御主人さまとしては、まことに公平で人格優れたお方ですから、わたくしはこの仕事に大変満足しております。
 御主人さまは、まだ青年と言ってよいほどお若い方なのですが、華やかな社交界は苦手なようで、たいていは領地のお屋敷で静かに暮らしておられます。華やかな都の生活を好む者には物足りないかも知れませんが、騒がしいことを好まない、わたくしのような性質の者には、たいへんに暮らしやすい環境であると言えましょう。

 独身のラインフフォード様のご趣味のひとつが、ご旅行なのでございます。奥様もお子様もいらっしゃらないため、なんの気兼ねもなく、思いつくと突然ふらりとご旅行に出かけられるのが、唯一と言えば唯一、気まぐれな点でございました。
 ですが、その御主人さまの唯一気まぐれな点も、わたくしに取っては、大変に大きな充実した時を与えて下さるものなのです。その理由をこれから説明いたしましょう。

 先ほどの御主人さまのお言葉によって、わたくしは、さっそく御主人さまのお荷物の準備に取りかかりました。
 いろいろと用意するものがあります。日用品や着替はもちろんですが、何でもいいからと適当に用意するわけにはまいりません。必要最小限の装備では、快適さには、まるで足りないのです。我々、庶民が旅をする時には、必要最小限の荷物ですまそうとするものですが、御貴族の方々のご旅行の場合は違うのです。
 やすりなども必要でしょうな。旅行中に爪が伸びていることに気づくことがままありますから。万が一にも御不快に感じられることがあってはなりません。こんな細かなことにまで気をまわし、準備をすすめてゆくのです。
 何があろうとも御不自由なく、そして快適に旅先での生活を楽しめるように、ご用意しておくのが私の役目なのです。
 なんと言っても、御主人さまには、ご旅行を充分に楽しんでいただかなければなりませんから。
 必要かつ充分な用意をすること、それがわたくしの勤めであると申せましょう。
 ですから、旅行先で御主人さまが、どんなことでもできるようにしておかなければなりません。
 たとえば、今回は湖に行かれるのですから、双眼鏡もお使いになるやもしれません。入れておくことにいたしましょう。
 広々とした湖に立つと、人は対岸を眺めたくなるものでしょうから。
そして、湖のほとりの散歩道をのんびりと散策して、自然の美しさを堪能することでしょう。散策には、ちょうどよい気候です。それでは、歩きやすい靴も必要ですな。
 また、夜は星空なんぞも見上げるかも知れません・・・では、適当な本と星図版も必要ですな。旅先で、降り注ぐ美しい星々を見上げて夜を過ごすのも、悪くはありませんから。星の瞬きを眺めているうちに、その星の名を知りたくなるかも知れません。そんな時、手許に星図版があれば、どんなにか充実した時をすごせることでしょう。
 小さな蝋燭の明かりで、星図版の上の星を探し、天空に飾られた星々と比較し、そうして夜がふけてゆくにつれて、ゆっくりと星々が天空を移動してゆくのに気づたりして、天文学者のように過ごす夜など、すばらしいではありませんか。
 今回の滞在先のホテルは、週末には簡素なパーティが開かれているとか。それでは礼服も必要です。旅先のホテルで、偶然にも知り合いと会って、親交を深めることになるやもしれませんし、あるいは、新しい出合いがあるかもしれませぬ。
 美しい音楽の音色に耳を傾けるのも良し、踊るも良し、文化の異なる人々の服装を楽しむも良し、気を使わない一夜の会話を楽しむも良し。権謀術数の入り乱れる都の気取った社交会とは違い、気を使わない旅行先のパーティは、まことに本来の楽しみ方をすることができるものです。
 そんな時を充分に楽しむことができるよう、服装も装飾品も御主人さまのお気に入りのものを持って行くことにいたしましょう。自分のお気に入りのものを身につけることができると言うのは、それだけで楽しいものですから。

 御主人さまのご旅行の支度とは、こんな調子で、自分一人で行くなら、重いからやめるであろう物も、旅を楽しむと言う目的のためだけに持って行くということなのです。貴族とは様々な制約を受ける我々庶民とは違い、なんとも贅沢な方々です。すべての貴族がそうであるとは申しませんが、少なくともわたくしのおつかえする御主人さまには、旅を充分に堪能し、満足していただきたいと存じます。

 このように、旅行先でどのような催しが行われているかと言う情報は、旅を楽しむと言う意味において、まことに重要な要素となってまいります。
 滞在地と周辺地域の催しなども調べておかなくてはならないでしょう。地理や歴史などにも目を通しておかねばなりません。旅行先の歴史に興味を持つと言うことは、けっこうありうることですから。御本などもご用意しなくては。興味をもたれた時に、適切な資料が手許にないと言うことになれば、せっかくの旅先で新しいことを知る機会を失うことになってしまいます。幸いにも、今回の滞在地周辺には、なかなか興味深い湖水の騎士の物語が伝わっているようでございます。
 言葉は・・・今回は御主人さまに取っては不自由のない言葉を使う地域ですから、辞書は必要ないですな。
 それに、料理についても調べておかなければなりませんな。
 料理と言うのも、旅の楽しみの重要な部分をしめるものです。どれ、料理の本を見てみることにしましょう。幸いと、お屋敷の書庫には、膨大な数の書籍が保管されております。
 わたくしの好みは、文字のみで説明されている料理本です。絵などが描かれているものが最近の傾向のようでございますが、わたくしは文字のみで説明されているものの方が、あれこれと想像することができるので、わたくしの趣味とあっているのでございます。
 生姜が入った小さなケーキは、Chanoinesse(シャノワネス)ですか。なるほど。昼下がりの軽い軽食がわりになりそうな、お菓子ですな。濃厚なミルクティーよりは、さっぱりとした紅茶などが合いそうでございます。晴れた日のホテルのテラスから、湖を眺めるお供をさせるのに、ちょうど良さそうです。
 Foret-noire(フォレ・ノワール)・・・さくらんぼの砂糖漬けと、チョコレートフレークがのせられたクリームサンドイッチ。なるほど、これは、かなりあまそうな食べ物ですな。
 しかし湖のまわりの森を散策した後の、軽く疲れた体にはとても良さそうです。一口食せば、空腹と同時に疲れも癒されることでございましょう。それに、色どりも華やかそうな感じがいたします。さくらんぼの赤。チョコレートフレークの茶。クリームの純白に、サンドイッチですから、パンの白色でしょうか。飲み物は、何があいましょう。以外とコーヒーのような少々苦味のある飲み物が似合うのではないでしょうか。
 お腹がたっぷりと膨れたところで、昼寝をして体を休めると、よろしゅうございましょう。
 それにしても、料理の説明と言うのは、まことに不思議なものでございます。ひとつひとつのメニゥに添えられた説明を読んでいると、一遍の優れた短編小説を、あるいは美しい詩を読んでいるかのごとく感じられてくるのですから。
 ごくごく短い詩のような料理の説明・・・たいていは主要な食材と、短い調理法のみによって、ひとつの料理について表現しております。
 そっけないとも言える、その短文が、読み手の想像力をかきたて、期待が膨らんでくるのでございます。そんな期待と共に、何とも言えずおいしそうなその姿をあらわしてくるのでございます。まだ一度も見たこともない一皿が。
 一度も食したこともないと言うのに、そのおいしろうなこと! いえ、おいしいに違いありません!
 おお、こちらのお料理なども、おいしそうですぞ。
 御主人さまは、どちらをお召し上がりになるのでしょうか。こちらのお料理など、とてもおいしそうですが、あちらも捨てがたいですな。いえいえ、こちらの方が・・・。あるいは、そちらか。はたまた、あちらの方がおいしそうですぞ。
 御主人さまには、どれも食べていただきたいものばかりでございます。めずらしいもの、おいしいもの、話のネタになるもの。どのような料理であっても、旅を彩ってくれることでしょう。

 このように執事の仕事とは、最大限の想像力を必要とします。自分の使える主人よりも優れた想像力を・・・旅を最大限に前向きに楽しむ能力を・・・そうでなければ、とても支度なんぞはできません。
 かと言って、私自身が遊び慣れていると言うわけではありません。それどころか、私は御主人様のお供以外では娯楽目的の旅行など、一度もしたことはありません。
 ですが、旅の愉しみは、十分に知っているつもりです。なぜなら、こうして旅の用意をしている時・・・私はその時、確かに旅を楽しんでいると言うことができるのでございます。
 旅先の地のさまざまな情報を収集し、その地で過ごす計画を立てていると、現実に旅をしているかのような楽しい気持ちになることができるのですから。
 御主人さま方が、一回の御旅行で、一つの道を通られるような旅をなさるとすれば、私はその一回の旅行の支度をしている間に、あちらこちらへ寄り道をしながら、同時に複数の旅をしては戻り、戻っては進み、と言った感じで旅をしている、そんな気がするのです。
 そのような意味では、私は御主人さまよりも、多くの旅行をしていると言えるのかも知れません。

 「セリス、湖からちょっと足をのばしたところに、古代遺跡を使った花園があるそうだ。そこにも行ってみたいものだな」
 御主人さまが、そうひとりごとのようにもらされました。
 「それは、すばらしい計画でございます」
 それでは、携帯用のランプなども御用意しておくことにいたしましょう。夜の小道を散策するのは、楽しいでしょうから。まるで子供に戻ったような気分で、ささやかな冒険気分が楽しめることでしょう。
 夜の遺跡と言う舞台もまた魅力にあふれておりますし。ついでに月明かりのもとで、遺跡に彫り込まれた文字や模様なども眺めたりなんぞもできたら、さぞ神秘的な気分が味わえるでしょうな。
 おお、月の光のもとでのみ咲く花が植えられていると? それでは、御主人さまは、夜にお花を御覧になられるやもしれませんな。月齢を調べておきましょう。おお、ちょうど具合のいいことに、滞在日に満月の夜が含まれているではありませんか。
 明るい月の光のもと、眠りにつく花々の間を歩いてゆき、静寂の中で音もなくひっそりと開く花を探しに行くなど、何ともロマンチックでございます。月色の花びらでございましょうな。
 月の光のもとでのみ咲く花とは、いったい、どのような香りがするのでしょう。

 このように、旅行先での経験を、あれこれと想定し、考えてみるのですが、もちろん、そのすべてを御主人さまが実行なさっているわけではありません。御主人さまは、御自分の気の向かれるままに、御自由に行動なさいます。もちろん私は、御主人さまのお供をさせていただいておりますから、御主人さまがなされることだけを見守るだけでございます。私が考えたことを、自ら進んで口に出すことはありません。聞かれれば、ご提案はいたしますが。
 あくまでも旅先で楽しまれるのは、御主人様ですから。御主人さまには、御主人さま自身の旅を楽しんでいただいております。それが一番なのです。
 ですから、私がこうして用意しているものの大半は、御旅行先でも使われないままです。ですが、それは、かまわないのです。
 御主人さまのために、旅行先での愉しみを、あれこれと想像することこそが、私にとっては何よりも楽しいことなのでございますから。
それに、「わたくしの旅」には、十分以上に役に立っております。
 まことに、旅行とは人生の愉しみの、ひとつであると言うことができましょう。

 「セリス、そういえば、今度の旅行先では・・・・・」
 「かしこまりました。それでは、・・・いたしましょう・・・」
 こうして、御主人さまの旅の支度をしながら、私もまた、さまざまな場所へと旅をしているのでございます。


        終わり