燭台の火 ~4~

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燭台の火

~4~

 その燭台は、いくつも枝分かれした形をしており、その枝分かれし元枝の一つ一つに蝋燭を置けるようになっていた。植物の茎から葉がのびている姿をイメージしたもので、葉がいくえにも茎から枝分かれした形の燭台である。
 彼が蝋燭に火を灯すと、まるで花が咲いたように見えるのだった。花の燭台と、彼は勝
手に名付けていた。
 花を咲かせるように、一つ一つの葉先に火を灯してゆく。幾輪もの花が咲いてゆく。
 火をつけ終えると、彼はまるで花が咲いたように見える燭台の姿を眺めながら、この炎の美しさを最大限に引き出してくれる燭台を作ってくれた名も知らぬ職人に深く感謝をするのだった。
 彼が過ごした長い年月の間には、この巨大な寺院の中で、彼を気にかけてくれた者も何人かいた。軽い友情めいたものから、敬意を払ってくれる人まで、いろいろな人がいた。若い頃は、慕ってくる年下から、導いてくれる年上、供に夢を語ることのできる同輩までいろいろといたが、長い年月を経た今では、ほとんど誰も残ってはいない。彼の存在に気づいてすらいない、あるいは気にとめない人々がいるばかりになってしまった。
 変わらずに彼の側にいるのは、彼の灯す燭台の上の炎の姿だけである。だが、その炎も彼によってつけられ、消される。だから正確には同じ炎ではないのだが、何代も何百代分もの炎たちを、彼は見つめているとも言える。
 贅沢なことだと彼は思う。

 こうして毎日、毎日を過ごせることが。
 この生活が死ぬまで続けばいいと思っている。
 確かに歳を取ったせいで、広い寺院の中を歩くのに昔よりは少しばかり時間がかかるようになった。他の者に代えようと言う案が出ていると言う話も聞く。やがてその時が来たことを静かに知るだろう。
 けれど、それまでは別れなど考えられないことだ。
 そんなことを考えながら歩き進んでいる時、柱に寄り掛かっている人物の存在に気づいた。夜の祈りを行うために皆、大聖堂に集まっているはずの今の時間帯は誰も出歩いてはいないばずなのだが。
 相手は懐から取り出した煙草を壁にかかっている燭台の火にかざし、火をつけた。
 彼が近づいてみると、相手は額から右目にかけて白い包帯を巻いていた。まだ若い僧侶である。天空を眺めていた男は、近づく彼に気づくと、にやりといたずらっぽく笑って白い息を吐き、そのまま煙草を吸い続けて彼を見た。どことなく傷んだみすぼらしい服を身につけている。長旅の後なのだろうと直ぐにわかる。彼は男が戦乱地から来た客人だろうと察しをつけた。
 こんな火の使い方をした人物を見たのは、彼は初めてだった。
 彼の炎で煙草に火をつけるとは。
 寺院外ではあることであろうが、寺院内で煙草を吸う者はいない。彼の目の前で煙草を吸っている男も僧侶であることは間違いない。それなのに煙草を吸っている。
 彼は彼の炎が煙に変わってゆくのを、不思議な気持ちで眺めた。
 ふいに、男は煙草から口を放し、自分のことをじっと見つめていた彼を見返した。
 視線が合い、彼は少々あわてて、ごまかすように尋ねた。
 「あ、あの、夜の祈りには行かないのですか?」
 「今、祈っていたところだ」
 男のその答えで、彼は男が煙草を吸い、天に昇ってゆく白い煙を見ながら神と対話していたのだと察した。かなり風変わりな祈祷法だと思ったが、なぜかすんなりと受け入れることができた。彼の炎が白い煙となって、ゆるゆると天空へと昇ってゆくのを見たからかも知れない。
 そのまま彼は、ぼんやりと男が煙草を吸うのを見つづけていた。やがて男は、ふいに煙草の火を消し、ぶらりと宿舎の方へと歩いていった。
 男が消えた廊下を何とはなしに跳めていると、やがて大広間の方からざわめきが近づいて来ることに、彼は気づいた。ふり返ると、夜の祈りを終えた僧侶たちが彼が灯した炎に導かれるようにして戻ってくるところだった。
 彼はあわてて道を空けた。
 その後、彼はあの男の姿を見ることはなかった。
 だが何日かして彼は、あの客人が聖人の称号を持つ教皇なのだと言うことを知った。盲目の皇帝を支える帝国の宰相であり、罪人を容赦なく裁く断罪の天使の異名を持ち、帝国内を放浪していると言う噂が流れている。彼の生活とは最も緑遠い人物である。
 そのことを、火をつけてまわる途中で小耳に挟んだ。そのことを聞いた時、彼はしばらく足を止め、「ほほう。あの人がそうなのか」と感慨を持った。そうして少しばかり思い出しながら感慨に浸った。けれど、しばらくすると、やはりいつも通りに燭台に火をつける役目に戻ったのだった。燭台に、ひとつひとつ明かりを灯していく。

 今夜も夕刻の祈りの鐘が鳴る。鐘の音とともに僧侶たちが、長い回廊を歩いてくる。回廊に立てられた柱には、一輪挿しのような燭台が埋め込まれている。花の代わりに一つの炎が揺らめく。
 彼の灯した明かりに導かれて、僧侶たちは大広間へと進んでゆく。彼は彼の炎に導かれるように進んでゆく人々の背中を黙って見つめながら見送っていた。

        終わり