封印聖遺物(前編)

文字の大きさは、こちらで変えられます→ 小 | 中 | 大 |

封印聖遺物 (前編)



 聖遺物・・・聖なる力を持っていると言われている古き品。
 高名な寺院で、厳重に保管されている。信者に公開していることもあるが、多くは秘宝とされ、高僧でもめったに目にすることはない。信者たちは、聖遺物の奇跡の力を少しでもわけてもらおうと、その保管寺院に参拝する。

 その昔、聖人によって悪魔は退けられ、聖人を信奉する人々によって、新しい宗教が造られた。聖人にまつわるさまざまな伝説を残し、聖人は天へと旅立ったが、その後も聖人の教えは、神の力によって広がり、世界中に布教され、その後、二度と悪魔が現れることはなかったと言う。

 『聖人の教えは、神の力によって広がり』
 『その後、二度と悪魔が現れることはなかったと言う』
 しかしその後も、人間たちは戦いを止めることはなく、異教徒だけでなく、聖人を信ずる宗派の信者たちも、内部紛争や異教徒との戦いを繰り返し、貧しい人々や孤児たちは差別され、飢え続けていた。

 異教徒との戦い・・・聖戦に、青年は参加していた。まだ若い。少年とも呼べるほどだ。他の多くの信者たちと同じように、僧侶の「守れ!聖地を」の呼びかけに答えて、貴族の子弟でも騎士でもなかったが、軍隊に加わったのだった。
 だが、いつまでたっても決着のつかない戦いが長々と続き、あげくにここ数日間、連日の戦いが重なったために、兵士たちは身も心も、すっかり疲れ切っていた。まわりの人間と話す者もほとんどいない。
 青年も同じだった。砂袋のように重く感じる自分の体を座らせ、ぼんやりと考え事をすることが多くなってきていた。
 僧侶たちは神を信じよ、と言う。けれど青年は気になっていた。どうして悪魔を聖人が退けたのに、この世から悪魔はいなくなったはずなのに、人々は争うのか。もう人間をそそのかす悪魔は地上にはいないはずだと言うのに。神の力によって聖人の教えは広まっているはずなのに、何故異教徒が存在するのか。聖人が死んでから、数百年以上が経過している。けれど、この世が楽園に近づいたようには少しも感じられない。
 青年は砂を吐き出すような重い息を吐いた。
 そして、ちら、と遠くを見た。そこには寺院があった。やっとここまで退却できたのだ。ここは味方の領地。そして遠くに見える大きな寺院は、名の知れた大寺院だった。
 何故、あそこにある聖遺物のひとつを使わないのだろう。確か槍のはずだ。聖人を裏切った弟子が、聖人を殺そうとして刺した槍。聖人の血を浴びて、無敵の力を持つようになったと伝えられている裏切りの槍だ。
 あの裏切りの槍を使えば、敵の異教徒どもを、一気に殺せるはずなのに。だが、あの寺院の司祭長は槍を自ら振るおうとは考えてもいない。他の聖遺物保管寺院も同じだ。そしてすべての寺院を総括する教皇も、聖遺物を使おうと言うそぶりすら見せない。
 怪我人や病人がのぞき込むだけで治るという鏡。
 聖人の血が染み込んだ布。
 聖人の残した剣、盾、鎧など。
 何故、使わないのか。
 「そりゃ、奇跡なんて起こらないからさ。ありゃあ、単なる古道具だ」と、同じ部隊で知り合った男は、俺の質問に答えた。
 そうなのだろうか。しかし、それは俺の知りたい答えではなかった。俺は聖遺物には奇跡の力があると信じている。昔から伝わる数々の伝説、そのすべてが嘘だとは信じられない。
 聖人にまつわる聖遺物は、いくつも各地に残された。悪魔たちを退けた道具。聖人の弟子たちは、聖なる力を持つものとして聖遺物を使った。けれど、次の代の弟子たちはもはや聖遺物を使うことはなかった。悪魔を近づけない力を持つ物として大切に保管し、誰にも・・・もちろん仲間内であっても・・・使わせないようにした。
 何故、使わないのだと、青年はもどかしく感じる。
 異教徒が改宗しないのは、悪魔のせいに違いなかった。同じ宗派同士で戦うのも、悪魔の仕業に違いない。飢饉も、天災も、病気も、悪魔がこの地上に、まだ居残っているからに違いないのだ。聖人は悪魔を追い払ったけれど、聖人の死後、悪魔はまたやって来たのだ。青年はそう考える。 
 悪魔を追い払わなければ。それには聖遺物を使うしかない。だって高僧たちが、そして人々も毎日のようにお祈りを捧げているというのに、争いは続いている。つまり我々の祈りでは悪魔を追い払う力はないということではないか。
 そうだ。悪魔を追い払える人間は、もうこの地上にはいないのだ。だったら聖人が残してくれた聖遺物を、今こそ使うときではないか。なのに、高僧たちは、誰も聖遺物を使おうとは言い出さない。
 青年は、いまいましそうに頭を掻きむしった。
 それとも聖遺物を使う能力、あるいは資格が、今の高僧たちにはないのだろうか。そんなことは、使ってみなければわからないはず・・・
 いや、だか、とにかく!
 何故、現在、神の奇跡の力がやんだのか、聖人や、その力を持った弟子たちがあらわれなくなったのか。過去にはあふれるほどの勇者、英雄たちが悪魔と戦ったと言うのに。現在、山ほど存在している僧侶たちの中には、英雄はいないのか。悪魔を倒せる勇者はいないのか。
 一般信者を神の教えに導くのと、聖遺物の保管が僧侶の役目なら、誰が悪魔から俺たち人間を守ってくれるんだ。
 青年は、神よ、と寺院の方角に頭を垂れ、祈りはじめた。

 寺院の屋根に人が立っている。
 真夜中に、ふと目が覚めた青年は、寺院の上の人影に引き込まれるように、その人影を凝視した。
 それは天使だと青年は信じた。だって人間はあんな高い場所に立ったりしない。しかも真夜中に。相手も青年の視線に気づいたようだった。
 青年の目の前に、ふわりと舞い降りた天使は、優雅な身振りと、上品な雰囲気を漂わせていた。それでいて貴族たちのように冷たい印象はない。月の光のような白銀の衣を身につけている。動くたびに、やわらかな光を放った。
 「あなたは・・・」
 ・・・・聖遺物の守護天使。
 天使は、鈴のような軽やかな声で、そう名のった。聞いたことはなかったが、聖遺物保管寺院にいる以上、そうなのだろう。
 「とうとう現れてくれたのですね。勇者はどこです? 悪魔を追い払ってくれる勇者に聖遺物を渡しに来たのでしょう?」
 青年は礼儀も忘れて、天使にすがりつかんばかりに勢い込んだ。天使は青年の無礼を気にかけることなく、そっと細い指を青年の両肩に置いた。
 ・・・そうです。あなたと言う勇者にね。
 「俺・・・が、勇者?」
 ・・・はい。私は勇者が聖遺物を取りに来るのを、ずっと待っていました。僧侶は悪魔を倒せません。悪魔を倒せるのは勇者と聖人だけ。しかも勇者であっても聖遺物を使わなければ、悪魔を倒すことはできません。
 天使は、とつとつと告げた。

 勇者よ、と天使が告げる。
 悪魔を倒したければ、聖遺物のもとへ来なさい。

 そうか。俺は勇者だったのか。ならば悪魔と戦うために、なんとしても聖遺物を手に入れなければ。幸いなことに、傷ついた兵士たちがあふれかえっているこの寺院内では、俺が歩き回っても怪しまれない。
 青年は、これも神のお導きに違いないと思った。
 だが問題はある。寺院のお偉方が、僧侶ではない俺に聖遺物を渡すわけがない。勇者のあかしもないし。だが、何としても聖遺物を手に入れなければならない。異教徒たちをそそのかしている悪魔を倒すことができるのは、僧侶ではなく勇者なのだから。
 青年の心は、聖遺物を手に入れなければ、と言う抑えきれないほどの強い衝動にかられた。
 青年は聖遺物を盗む決心をした。
 聖遺物さえ手に入れば、異教徒どもを駆逐し、悪魔を倒し、人々を幸せにすることができるはずなのだから。
 青年は寺院に忍び込んだ。
 だが青年は、聖遺物を手に入れることはできず、僧侶たちに追い詰められた。
 「聖遺物を盗もうとするとは、何とおそれおおいことか。この悪魔め」
 「我が軍に入り込んだ異教徒のスパイに違いない」
 僧侶たちは口々に罵り、青年は聖遺物のすぐ近くでなぶり殺しにされた。青年の死体は寺院から遠く離れた荒野に投げ捨てられた。

 青年の投げ捨てられ、腐敗の始まっている死体の側に天使が降り立った。
 くすり・・・
 と、天使が笑った。
 笑った天使は大きな蝶の仮面を顔につけた。両目が隠された。大きな美しい模様の蝶の羽が両目をおおったからである。まるで眼鏡のように。蝶の羽は広げられている。もちろん本物の蝶ではない。ステンドグラスのような華やかさを持った金銀宝石細工である。ただ妙に生々しい感じがした。あるいは、何か別のもので造られているのかもしれない。
 天使の目は隠されたが、ただ、よく感情をあらわす整った口もとは見えた。
 だが天空にいる三日月は、天使の目が直接見えないことに、ほっとしていた。悪魔の目なぞ、直接見たくはないからだ。
 ・・・悪魔と言うのは、もとは天使なんだよ。
 蝶の仮面をつけた天使、いや悪魔はささやいた。
 ・・・知っているかい? 人間が悪魔に勝てないのは、聖遺物を使わないからさ。でも、それもしかたのないことかもね。だって人間界にある聖遺物は、すべて封印されてしまっているのだから。
 悪魔は、腐敗し続ける青年に、そう話しかけた。青年の意識は、もうずっとなかった。
 ・・・誰が聖遺物を封印したか知っているかい?
 悪魔は、聖人によって人間界を追われた、はるか昔を思い返し青年に語り始めた。


封印聖遺物(後編)