『銀河鉄道の夜』事件 前編

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『銀河鉄道の夜』事件  前編




 その夏、幻想的な作品『銀河鉄道の夜』をヨハンは発表した。
 作家となってから何作目かの作品だ。ヨハンの子供の頃の出来事を下地にしてはあったが、幻想的な作風を得意とするヨハンの作品としての特徴が存分に生かされており、銀河を旅する少年たちの物語は静かな人気を呼んだ。
 いつものようにファンからの好意的な手紙が何枚か舞い込み、ヨハンは次の作品に取りかかろうと、題材を探しに外国へ向かった。そうしてその冬と春を異国の地で過ごし、この夏、久しぶりに故郷の地へと足を踏み入れた。
 折りしも時期はちょうど、『銀河鉄道の夜』の舞台となった。あのケンタウルス祭が行われている時であった。にぎやかな祭りの人込みから少しばかり離れ、小さな河原を歩いてゆく。この先で、彼は古い友人と待ち合わせをした。ポケットから懐中時計を取り出して見ると、まだしばし時間があった。
 昔のことでも思い出しながら、ゆるゆると歩いてゆくことにしよう。そう思ったヨハンはこれから会う友人の事を思い出した。外の街では何度も会っていたが、故郷の地で会うのは久しぶりだ。
 本当に何年ぶりになるのだろう。
 見上げた夜空は、星でいっぱいだ。
 故郷の風景の中に、あの友人が立っているかと思うと、なんだか照れくさくて、くすぐったい気持ちになる。どんな顔をして会ったらいいのかなと、ヨハンはあれこれ思いを巡らせてみる。そんな風に、なつかしさも手伝って、ゆっくりと満天の星空を眺めながら歩いていたヨハンの前に、突然ふらりと一人の男が草むらの間から現れた。
 「君は・・・」
 ヨハンはその男が同じ年頃だと判断すると昔の学友の一人だろうかと考え、思い出そうと小首を傾げた。しかし男は、ひどく嫌な表情をしていた。とげとげしい目つき。卑屈な媚びるような笑みが、まがった唇の端に張りついていた。それでいて馴れ馴れしい口調に嫌悪を感じる。
 「ひさしぶりだな」
 男は痛んでかすれた声を発した。嫌な感じの声の響きに、ヨハンは嫌悪を感じる。
 「ずいぶんと洒落たもんを書いているじゃないか。ヨハンなんて偉そうなペンネームまで使ってな」
 そう言って男は手を上げてむせる。すると男の手にはヨハンが書いた『銀河鉄道の夜』が握られていた。濃紺の表紙に銀色の星々がちりばめられている美しい本である。だが、男の口調はとても好意的なファンとは思えない。
 「まあ、もっともこんな田舎町には、こんな洒落た幻想小説なんか読む奴はいないだろうがな」
 ヨハンは黙っていた。男はなおも話し続ける。
 「だが、随分と脚色してあるな。カンパネルラが死んだとしか思えないように書かれているしな」
 「そう?」
 あくまで静かに、ヨハンは答えた。目の前の男が、誰か思い出したのだ。そんなヨハンの態度を見て、男は口を歪めて満足そうに笑う。
 「カンパネルラは死んでなんかいない。この本の中でも、それは明らかだろう。死んだなら『天上』に行くはずだからな。なのに実際に『天上』つまりサウザンクロスで降りたのは青年と少年と少女だけで、カンパネルラは『天上』で下りちゃいない。奴は他の場所に行ったってことさ」
 「文学的な解釈をしに来たのかい?」
 ヨハンは男の言葉を遮って言った。さっさと会話を終わらせたかった。せっかくの良い気分が台無しだ。だが男の方は、そうする気はないらしい。
 「そうさ。俺の解釈をな。俺がはめられたってことが、この本を読んで、やっっと分かったんだからな。まあ、聞けよ」
 男は獲物を狙うような目つきで、ヨハンの全身に視線を這わせる。
 「・・・あの夜、カンパネルラはザネリたちと一緒に船に乗った。そして船から落ちたザネリを助けようとして川に落ちて行方不明になった。ずっとみんな、そう思っていたんだよな。俺自身もそう信じてたぜ。けどな、この本を読んでわかったんだよ」
 男は挑むようにヨハンを睨みつけた。
 「あの時、カンパネルラは溺れたふりをして、ザネリたちから離れて、ザネリたちに気づかれないように水の中を泳いで、ジョバンニに会いに行ったのさ」
 「本のままだね。僕の空想そのままだ」
 ヨハンはあきれて言った。
 「そうか? おまえさんの本にはそんな風には書かれてないぜ。いかにも死んで幽霊になったカンパネルラがジョバンニに会いに来たように書かれている」
 男はヨハンの顔を見て、獲物を捕まえたと言うように、にやりと口許を歪めた。
 「そうとも読めるかもね」
 ヨハンは、男の罠に引っ掛かったことに気づいて、注意深く言葉を選んだ。
 「まあ、いい。俺はカンパネルラが生きたまま、ジョバンニに会いに行ったと考える。そう考えると辻褄があうからな。おまえさんも、そう考えたんだろう?」
 男は嫌らしく笑った。ヨハンは黙っていた。
 「まあ、聞けよ。この本のあらすじを要約してやるからよ」
 男は一歩、ヨハンの方に近づくと話を続けた。
 「流れのある川に飛び込んで、みんなの目を盗んで岸に泳ぎ着くなんて無理をしてしまったから、カンパネルラは苦しかった。だからジョバンニと銀河鉄道の中で会った時に、少しばかり顔色が悪かったんだろうな。おまえさんは、この場面をカンパネルラが幽霊だから顔色が悪いかのように書いているがな。だが、親友のジョバンニに会えて嬉しかった。それですぐに気分が良くなって回復した。まあ、死んだふりをしていなくなってしまったから、両親が心配しているだろうことを気にはしているが。
 そうさ。カンパネルラはジョバンニに会うために、あの時わざと船を揺らしてザネリが川の中へ落ちるようにしたのさ。
 そうして二人で船にのって川巡りをしたのが四十五分。二人でずいぶんと楽しんだみたいだな。この本によればな。まあ、この本の通りなんだろうが。まあ、どうして死んで天上に行く人間の話まで書かれているのかはわからないけどな。同じ船に乗り合わせた旅行者にでも聞いたってとこだろ。
 けれど、やはりみんなのいる場所へ戻ってくると、カンパネルラは次第にジョバンニと一緒のところをみんなに見られるのが、恐ろしくなってきた。自分もジョバンニのように、みんなにからかわれるのではないかと、な。
 カンパネルラがそう心配していることは、ジョバンニも感じていたんだろうな。せっかく取り戻した友情を、また失ってしまうのではないかと。だかジョバンニにできることは何もない。だから、せめて『これからも僕たち一緒にいこうねえ』と祈るような気持ちで言ってみた。が、カンパネルラは黙って姿を消す。
 「冷たい奴だよな。友達のふりをしていても、自分の身が危うくなると、さっさと自分だけ安全な場所に逃げ出す。やつは昔から卑怯だったってことさ。
 そうして自分は、川下で助かったことにして、明日姿を見せればいい。そうすればすべてはもとのままだからな。死んだと思っていた息子が帰ってこれば、両親は喜びこそすれ、何も咎めないだろう。それどころか溺れた友人を命がけで助けて救った英雄だ。町の人々も友人たちもそう納得する。そうだろ?」
 「・・・ひどい解釈だな。そんなことは僕の本には書かれていないよ」
 ヨハンは、ふいと顔をそらした。
 「そうか? だが、最後の部分は事実だ。実際、カンパネルラは翌日に姿を見せたじゃないか。川下で助けられたと言ってな」
 男の指摘した通りだった。確かに、あの祭りの日の翌日、カンパネルラは水浸しの姿で河原に現れた。
 「そうして、おまえさんの小説じゃあ、そこまで書かれてないんだ?」
 「物語とは関係ないことさ」
 ヨハンは表情を消して答える。
 「ふん!」
 男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 「あくまでもしらを切る気か?」
 男は挑発するようにヨハンの顔をのぞき込んでくる。だがヨハンはあくまでも黙り込んでいた。すると男はまた口を開いて話を続けた。
 「『どこまでも、どこまでも一緒に行こう』か。健気だねえ、ジョバンニ君は。だがカンパネルラの奴は簡単に裏切った。お前も奴を恨んでいるんじゃないのか? だからこの本を書いた。この本の中じゃあ、カンパネルラは死んだように書かれている。カンパネルラを殺してしまいたいほど憎んでいるからじゃないのか? だからこの本を書いたんじゃないのか・・・ジョバンニ?」
 男はヨハンの本名を呼んだ。


    『銀河鉄道の夜』事件 後半へ続く



      作中の引用は、宮沢賢治 『銀河鉄道の夜』 角川ミニ文庫より