神無月の結婚

文字の大きさは、こちらで変えられます→ 小 | 中 | 大 |

神無月の結婚



 「その方とは、結婚したくありません」
 華族の姫は、静かに答えました。
 「どうしてだ? 同じ華族の出身だし、若くて男前だぞ?」
 公爵は、娘に問いかけました。
 「知っています」
 「・・・少々、野心的なところが嫌なのか?」
 辛抱強く父親は、姫の顔を覗き込みつつ質問を続けます。
 「そうではありません」
 「だが、どうしてもお前には、この青年と結婚してもらわねばならない。もう相手方とは約束してしまったからな」
 公爵は、静かな口調でそう言いました。それは、もう決めてしまったことなのだと。
 華族の姫は、表情を変えることなく、父親の顔を見上げました。
 そして、しばらく黙ったまま父親の顔を見つめてから、口をゆっくりと開きました。
 「わかりました。その方と結婚式を挙げましょう。そのかわり、一つだけ要望があります」
 姫の真剣な表情に、公爵はどきりとしながら返事を待ちかまえました。
 「うん? なんだ?」
 「結婚式は、秋に・・・10月にしてください」
 ぽつり、と姫はそう言いました。
 「ああ、そんなことか。もちろんかまわないぞ。暑い夏に花嫁衣装を着るのも大変だろうからな。少し涼しくなってから挙げるのが、ちょうど季節的にも良いだろう」
 姫の出した条件のたわいのない内容に、公爵は安堵し、機嫌良く姫の要望を受け入れました。
 「必ず約束ですよ、お父様」
 姫は真剣な目で確認を取ります。
 「ああ、わかったよ」
 公爵は、すっかり重荷が降りた表情で、姫に笑顔で約束しました。


 10月のある晴れた日、公爵の姫は親同士が決めた青年と、神社で結婚式を挙げました。
 豪華な花嫁衣装の下から、公爵の姫は、まわりに気づかれないように、そっと招待客の列に目を向けました。
 正確には、招待客たちが立ち並ぶ、とてもとても後ろの方の木に寄りかかっている人に。
 その人も、姫の美しい姿をじっと見つめています。
 姫の従僕だった青年です。姫が結婚した後も、姫について新しい家で姫に使えてくれることになっています。
 おそらくは姫が死ぬまで、忠実に使えてくれることでしょう。
 姫も、従僕もどちらもそのつもりなのですから。


 呼ばれて姫は視線を神主に戻しました。
 隣には、結婚式の相手が立っています。
 目の前には、神様がいるはずの祭壇。

 姫は、唇に小さな笑いを浮かべます。
 それは企てられた笑み。
 企てが成功した満足の笑みでした。

 今は10月。神無月・・・神様はここにはいない。皆、出雲に帰ってしまっている月なのですから。
 ですから、この結婚は無効なのです。この結婚を有効だと認めてくださる神様がいらっしゃらないのですから。そして、わたくしも、この隣に立つ男と結婚したとは認めません。
 これは、無理矢理結婚したくない相手と結婚させられたことへの、わたくしのささやかな報復です。
 父も主人となる人も、一生知ることはないでしょう。わたくしが結婚してはいないと言うことに。このことを知るのは、わたくしとあの人だけ。
 けれど、いつか教えてあげましょう。
 この秘密を。

 数十年してから、この隣に立つ男に言ってあげましょう。
 あなたとなど結婚してはいないのだと。
 あなたと挙げた結婚式には、神様は立ち会ってはいないのだと。

   終わり


 注・神無月とは、旧暦10月は「神無月(かんなづき)」と呼ばれた。出雲に全国からすべての神様たちが残らず集まって会議をすることから、出雲以外の日本中には、神様がいなくなることに由来する。