彼のミステリーの楽しみ方

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彼のミステリーの楽しみ方

ユリ・シリーズ


 「またその本を読み返してるのか? 何度目だい?」
 由良(ゆら)由利(よしゆき)は、友人の読んでいる本に目を止めて、少々あきれぎみに言い放った。友人は本にプックカバーをつけない習慣をしているから、読んでいる本の題名は一目で知ることができる。クリスティーの「そして誰もいなくなった」だった。
 由利と友人兼同居人は、ひさしぶりの休日を、ためていた本を読んで過ごすことにしていた。この時、読もうと思っていた本を、自分の部屋から持って、居間に入ってきた由利は、先にソファに座って本を読んでいる友人の姿を、何気なく確認した。その時に、友人の姿と、友人が読みふけっている本の組み合わせを、以前にも何度か見たことがあることを思い出したのだった。
 「最後がわかっている話を、そんなにも何度も読み返して、ミステリーの研究論文でも書くつもりなのかい?」
 由利の言葉に、友人は藍色の目を本からあげて由利を見ると宣言するように静かに言い放つ。
 「まだエピローグの部分は読んでないからな。言うなよ、ユリ」
 藍色の目をした友人は、由利(よしゆき)のことを何故か、いつも由利(ユリ)と呼ぶのだった。
 「なんだって?」
 由利は友人の言葉を聞きとがめ、友人の座っているソファの向かいに腰を下ろした。
 「だって、その本は前にも、その前にも読んでいたじゃないか」
 由利は記憶を確認しながら言う。
 「そうだな。けどエピローグの部分は、前も、その前の時にも読んでない」
 友人は何気ない口調で答える。
 「なんだって? まさか他の推理小説も、そんな読み方してるんじやないだろうな」
 目の前で椅子に座っている背の高い友人兼同居人が、ミステリーをかなり読んでいることは知っていたが、まさか謎解きの部分を読んでいないとは、由利は今まで思いつきもしなかった。
 「そうだぜ」
 友人は、驚いている由利の反応が、おもしろいかのように、にやにやと笑っている。それから由利をじらすように、ゆっくりと目をひらいた。
 「探偵小説や推理小説と言ったミステリーは、読者への挑戦の前まで、あるいは探偵が謎解きをする前までしか読まない主義でね」
 「でもミステリーの醍醐味と言ったら、探偵によるあざやかなトリック解明だろ。ミステリーファンなら意外な謎解きに、うならされたいと思ってるはずだけどな。それに謎が優れていればいるほど、謎解きの前で読むのをやめるなんて耐えられないことだよ。一気に最後まで読んでしまわずにはいられないものだろ。徹夜してでも」
 「それもあるけどな。でもあざやかな謎解きの後は、せいぜい読み返しても数度だろ。その上多くのミステリーは一度読んでしまったら、ほどんと読みかえさないものだからな。一度しか楽しめないなんて惜しいだろ。だから何度も事件部分だけを読んで、続きが読みたくて読みたくてたまらない気持ちを楽しんで、堪能してるのさ」
 友人は驚色の目を細めて楽しげに言った。そんな友人の態度を見ているうちに、由利はちょっぴりくやしく感じてくる。
 「ミステリーは、全部そんな方法で読んでるのかい?」
 「全部じゃない。この読み方に向かないミステリーもあるからな。『読者への挑戦』が入っているのは大丈夫だ。解決編が別の章や袋とじになっているのもな。問題はまだ事件編だと思って読み進んでる最中に、いきなり真犯人を名指しされる場合だな。がっかりするぜ。本当に。それに短編もあまり向いていないな。短すぎて、どこまでが事件編なのか
区別がつきにくい。あとホラーやSFよりのミステリーの場合、最後がミステリーではなくてホラーやSF風の解決になっている場合は、さっさと最後まで読んでしまった方がいい。この読み方と相性がいいのは事件編と解決編の区別がはっきりしているものだな」
 「僕には、そんな悠長な読み方はできないな。読みたい新刊がたくきんあるし」
 由利は何故か拗ねたような態度を取った。
 「好きにすれぱいいさ。でも俺はすべてのミステリーをチェックすることに固執しているわけじゃない。俺にとっては、この読み方が楽しめるってことだ」
 由利のちょっとした反論も、友人はまったく気にかけたようすを見せない。
 「新刊を読むことよりも、か?」
 「ああ」
 友人は、はっきりと肯定した。
 「そんなに我慢しなくても・・・でも確かに、その方法ならミステリーを何度も堪能できるだろうけど。だけど謎解き部分を読まないで、どうやって優れたミステリーかどうかを判断するんだ?」
 「謎の魅力だな」
 友人は藍色の目を、まっすぐに由利の目をとらえるように動かして言った。
 「なるほど。謎の魅力もミステリーの魅力の大きな要素だからなあ。だけど、結末がつまらないミステリーを、いつまでも楽しんでいるのはどうかな。時間の無駄じゃないのかい」
 「俺はあざやかな謎解き部分だけを重視しているのではないからな。魅力的な謎の部分が楽しめるなら、それは俺にとっては、優れたミステリーだ」
 「じゃあ君は、永遠に謎解き部分は読まないのか?」
 「いいや。読むぜ。ただし魅力的な謎を充分に楽しんだあとにな。もちろん、ずっとの謎のまま、あれこれと犯人やトリックについて思索を重ねたまま、謎解きの部分を読まないものもあるけどな。もっとも、あまりにも謎の部分がお粗末すぎてトリックが丸見えってのは、さっさと謎解きも読みおえてるけどな」
 「ふうん。じゃあ君にとっては、つまらない作品以外で、謎解きを読むのは特別の時なんだ」
 「そうさ。魅力的な謎の後に続く謎解き部分を読む時は、とっておきの酒や料理で乾杯するのさ。それまで、魅力的な謎で楽しさを充分に堪能させてくれた作品に対しての感謝を込めてな」
 友人は何も持たない手で、乾杯の身振りをしてみせた。ひどく楽しそうに。
 「ずいぶん楽しそうだな」
 「実際楽しいからな」
 にやりと笑う友人のからかうような態度に、ちょっとくやしくなった由利は、いじわるを言ってみたくなる。
 「僕は、そのミステリーの最後を知ってるんだよ」
 「言うなよ、ユリ」
 すぐに友人は、はっきりとクギをさした。本当のところは、そのミステリーの最後がどうだったかを忘れてしまっていた由利は、ちょっと肩をすくめると、それ以上からむことなく話題を変えた。
 「ひねくれた読み方をしてるんだな。昔からそんな読み方してるのか?」
 「謎解きまで読んだものもあるぜ」
 「たとえば?」
 「そうだな。謎解きまで読んでしまったのは、ホームズとクイーン、それに少年探偵団とクリスティーを何作か、ぐらいだな。子供のころ夢中になって読んだものだぜ。ところがすぐに後悔させられた。なんで、こんなにもおもしろいものを読みおえてしまって楽しみを使い果たしてしまったのかってな。そのころは子供向けミステリーは、ほどんどなかったからな。その時、ミステリー作品の場合、謎解きを読んでしまってはいけないと言う結論に達したんだ。犯人がわからぬ時こそ、すぺての謎は生き生きとしているってことにな。
 「よくそんなこと子供なのに気づいたな」
 そうあきれたように言いながらも、由利は夢中になってミステリーを読むことができた昔を、なつかしく思い返していた。今でも夢中になって読めるミステリーには、しばしば出会うが、いつも一回きりだった。多くても二回。それ以上読み返しても、一番最初に読んだ時のような新鮮な興奮を味わうことができないのだった。たとえ、どんなに凄いトリックであっても。
 そしてトリックが凄ければ凄いほど、たった一回きりしか最高の新鮮さでは楽しめないミステリーと言う存在のことを、ひどく哀しく感じていた。読んだ記憶が消えてしまえばいいのにと、何度思ったことか。
 「あっと驚く結末は、先延ばしと言うことか」
 由利はそうつぷやきながら、友人の大きな手の中にある本に目を向けた。
 「その作品は、そろそろ解禁する気にならないのかい?」
 「まだまだだな。まだ、楽しいからな」
 友人は、そう言って再び藍色の目を本に戻した。
 自分が、すでに最後を知ってしまっていて、一番最初に読んだ時のようには楽しめない本を、友人はまだまだ、これからも楽しみ続けることができる。友人には、まだまだ夢中になって、むさぼり読むことができるミステリーがたくさんある。そのことを、由利はひどくうらやましく感じた。けれど。けれど、それでも目分はミステリーを謎解きの前で読むのをやめることはできないだろうと由利は感じた。
 けれど・・・
 けれど、もう一度、あの一番最初に読んだ時のように新鮮な興奮で、むさぼり読むことを何度も何度もできるのならば・・・それは強すぎる誘惑だった。
 由利は思わず自分の胸を押さえて、気持ちを落ちつけた。目の前では、友人が本を読んでいる。題名は「そして誰もいなくなった」。有名な作品だ。かなり昔に読んだ記憶がある。
 そう言えば・・・由利は思い出した。
 そう言えば、「そして推もいなくなった」の最後は、どんなだったかな。かなり昔に読んだはずだけれど忘れてしまってる。ちょっと考えてみたが、やはり最後も犯人も思い出せない。誰もいなくなって・・・それから?
 もう一度、読み返してみようか。友人と同じ読み方で。
 由利は、ふとそう思いついた。

    終わり



ユリと藍色の目の同居人の生活を、もっとのぞいてみたいと言うあなたは