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 激しい直射日光の差し込む街。まわりは砂漠に囲まれ、純白の四角い一階あるいは二階建ての家々が、ひしめき合うように密集している。ところどころに丸い半円形をしたドーム型の屋根が見えるのは、寺院か宮殿だ。狭い路地は家々の間を通り抜け、迷路のように街中にはりめぐらされている。地面すらも強い太陽の光を白く反射している。
 そんな白い街では、少女の着ている膝丈の綿のワンピースは、白と言うよりも少しばかり茶色がかって見えた。茶色い革のサンダルを、むき出しの足にはき込み、少女は街の狭く暑苦しい路地を歩いていた。薄茶色の巻毛が肩の上で揺れ、なめらかな皮膚の表面には汗が浮かんでいる。
 いくつもの角を曲がった後、少女は家と家との間の隙間のような空間に身を入れた。普通に歩いている人間ならば、そんな隙間になど決して入ろうとは思わないだろう。そのままどんどん進んでゆくと、途中の壁に、ぽっかりと開いた空間が見えてくる。扉が外されたような形だ。少女は、そこへ体をすべりこませた。
 室内に入ると、そこは狭い部屋だ。貧しそうな木の扉が部屋の奥に一つ見える。なんの躊躇もなく少女はその扉を開けて、ずんずんと入り込んでゆく。もちろん扉を閉めるのも忘れずに。
 次の部屋も、別の部屋につながっている。そしてその次の部屋も。
 そうして何部屋か通過した後のある部屋の隅に、地下へ続く階段があった。少女はゆっくりとその階段を下りてゆく。一気に暗さが増してゆく。そして段々と空気が涼しくなってゆくのを感じる。
 階段を下りきり、少しばかり真っ暗に近いほどに暗い廊下を突き進んでゆくと、やがて分厚い布のカーテンが掛けられているのに気づく。少女はカーテンをそっと開け、室内に身を滑り込ませた。
 紫煙が立ち込めている薄暗き室内。部屋中に漂う煙。目だけを動かし、室内中の空間を埋め尽くしている煙に視線を走らせ確認する。

 少女は、ここにいるのが好きだった。

 次に少女は、部屋の中央に置かれた座椅子の上に座っているこの部屋の主に目を写した。主人の前には、細い管が出ている硝子の大きな壜が置かれている。どこからか薄明かりが部屋全体を、うっすらと薄暗く浮かび上がらせており、その光はこの部屋の主たる男の手元の複雑な色をした硝子壜を、中に入っている液体が動くたびに、紫や赤や碧、翠や水色、金色に変えて見せるのだった。
 男の斜め前に置かれているのは、水煙草を吸う装置だった。
 少女はやわらかな布の感触を靴底に感じながら、二、三歩進む。足元の布は様々な色彩で唐草模様が描かれている。室内に立ち込めている煙が、自分のやわらかな桃色がかった頬の上を撫でるように流れてゆくのを少女は感じ取る。地上は灼熱の太陽に照らされた白い街だと言うのに、この地下の部屋は薄暗く、ぞくりとした冷気を感じ、そして何よりも白い煙でかすんでいた。
 男は頭に巻いた布の下から長い髪を床に流し、ゆったりとした服を身につけていた。紫色の目を半ば伏せて、水煙草の官を長い指先で持ち、時折ゆったりとした動作で口に近づけては軽く口をつけ、やがてゆっくりと話して白い煙を吐き出す。
 男のととのった顔は、若いようでもあり、年寄りにも見える。だが少なくとも大人の男であることは確かだ。だが本当に人間であるかどうかと聞かれると、少女は答えに迷ってしまう。魔術士なのか、天使なのか、占い師なのか、占星術師なのか。ひょっとしたら悪魔なのかもしれない。少女は男の正体を、そんな感じではないかと想像していた。
 男はまるで千年も前からそこにいるような物腰で、部屋の中央の座椅子に、ゆったりと腰掛けていたからだ。
 でもどうでもいいことだった。男が、この場所にいてくれさえいれば。
 少女は、この煙であふれた部屋にいるのが好きだった。
 紫煙が立ち込めている薄暗い室内。部屋中に漂う煙。少女は再び、目だけを動かして室内中の空間を埋め尽くしている煙に、素早く視線を走らせ確認する。
 煙草の煙が室内のあらゆる場所を占拠している。床から天井まで。部屋の隅々まで。そしてもちろん少女の全身をも、あますことなく包み込んでいる。
 少女は煙が自分のやわらかい皮膚の表面にあたる、ぴりぴりとした刺激にも似た感触を感じ取った。わざとむきだしにしてきた二の腕にも、すらりとのびた両足にも煙は触れる。煙は、足にまとわりつかないように広がっているスカートの中にまでも入り込み、隠れている腿にもまとわりつく。そして少女はそんな煙の感触を感じ取ることができた。そのためにわざとこのスカートをはいてきたのだから。露出している首や顔や、髪の毛に、煙が触れてくるのを感触で確かめる。
 自分に触れている煙が、目の前に座っている男の口から出されたものだと思うと、少女の全身は、ぞくぞくと震えてしまう。相手にわからないように震えを隠すのに苦労するほどだ。だが男は伏し目がちな目をして、少女の方を見ることは、ほとんどない。
 だから少女は思う存分、ぞくぞくとしては、息を深く何度も吸い込んだ。この吸い込む煙までもが、男のはきだした煙なのだ。男の煙が自分の体の中にまで入ってきているかと思うと、うれしくてたまらなくなる。もっともっと吸い込みたくて、つい呼吸が荒くなってしまい、思わず咳き込んでしまった。
 すると男は、ふいに紫水晶のような目を上げ、少女の方を見る。煙たいのかと聞いてくる。少女はあわてて違うのだと首を振って否定する。
 男の紫色の目を見ると、少女の胸から鼓動音があふれだす。
 きっと自分は、この男に惹かれているのだと少女は思う。好きなのかと言われれば、そうかもしれないと思う。同時に少し違うとも思う。憧れている、とも少し違う気もするのだが。少なくとも、こんな思いをさせてくれるのは、この男だけなのだ。とにかく、この場所に毎日来たくてたまらないのだ。

 少女は、部屋中に漂う霧のような煙を眺める。
 これらはすべて男の作り出したものなのだ。この室内自体が、男自身であるかのように少女には思えてしまう。
 体を包む薄布を通して、煙が体にしみ込んでくるのを感じる。すべて服を脱ぎ捨ててしまいたくて、たまらない。裸になって直接、全身で煙を感じることができたら、どんなにすてきだろうか。そんな妄想が少女の意識を恍惚とさせる。

 ・・・それで・・・今日は何を聞きたいんだい?
 ふいに少女は、男の声に意識を引き戻された。
 少女は思わずスカートを両手で、力一杯握りしめた。我慢しなくては。二度とここへ来られなくなってしまう。
 男の吐いた煙で充満したこの部屋に来ると、少女は全身、男からくちづけを受けているような痺れを感じてしょうがない。けれどそんな感じが嫌どころか、もっともっと感じたくてしかたがない。毎日、通いつめてしまうほどに。
 容赦なく自分の口の中にも、そして肺の中にも入り込んでくる煙。少女は、自分が吸い込んだ男の息が、肺から血液を通して自分の全身にくまなく染みわたってゆく感覚に酔いしれながら、こちらを見ている男の紫色の目を見返した。
 少しばかり、自分の目は潤んでいるかも知れないと思いながら。
 「街の・・・歴史の・・・続きを話してくれる約束だったわ」
 つまりがちな息の下から少女は、ほほえみを浮かべて男に言った。少女は男から街の歴史の話を聞くために、この部屋に通いつめていた。もちろんこの部屋へ来るための口実なのであるが。
 男は、まるで見てきたかのように、この街について詳しかった。どんな時代の王様も、将軍の名前すらも、なんのよどみもなく、すらすらと口にする。少女はいつ終わるのかわからない長い長い街の歴史を聞きたいからとせがんで、男のもとに押しかけていた。長い長い歴史の物語りは、途絶えることなく続いている。永久に終わらなければいいと少女は思いながらも、男の前にすわり込み物語に耳を傾ける。その間も、少女の胸は何度も何度も動き、男の吐き出した煙を吸い込み続ける。
 男に触れることはできない。そんなことをしたら、男はきっと自分を拒むだろう。赤の他人に許可もなく触れられたら、誰だって怒るに決まっている。けれど、この部屋にいれば、男の息に触れることができるのだ。
 このくちびるで。
 そう思い、少女は桃色の唇を軽く開け、息を吸い込む。煙が吸い寄せられ、少女の唇に触れるのを感じ取る。このくちづけを、男は拒むことはできないのだ。
 私がこんなことを考えているなど、男は想像すらしていないだろう、と少女は思う。
 男は、私にくちづけをしなければならない。私がして欲しいと思うのだから。そうして、この部屋に私がいるのだから。私の全身に。
 少女は、自分の体に男の吐き出した煙が触れるのを、ちらりと目で確認し、同時に煙が肌に触れる感触を感じる。この状態は・・・
 全身に、男に全身をくまなくくちづけされているのも同然ではないか。
 少女はぶるりと全身を震わせた。
 少女の震えに気づいた男が、寒いのかを尋ねる。少女は、ちっとも、と答えながら頭を左右に何度も振った。まだ帰りたくはなかった。
 ふたたび男は話を初め、ゆっくりと水煙草を吸い続ける。無防備なようすで、男の口から煙が吐き出されてゆく。
 その煙を少女は意識して吸い込んだ。まだ男の熱を、体温を保っている間に。
 男は何も拒むことはできない。
 少女は自分が男を支配し、従わせているような気分になってくる。
 そう。
 私のくちびるに触れるのよ。ゆっくりと。
 それから腕にも、足にも。首筋にも。髪の毛にもね。
 そう思いながら、少女はゆっくりと呼吸を続けた。

     おわり