魔術具 第2部 魔術界

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魔術具

第2部 魔術界

 暗い森の中。木の幹は太く、枝は不気味にねじまがっている。厚い葉が生い茂り、天井となって光をさえぎる。黒い土は湿っている。そして空気も。ひんやりと冷たい空気は晩秋か初冬のものだ。
 僕はそんな場所で目覚めた。
 ここが魔術界なのか。
 不思議と実感が湧いてこない。けれど予想していた雰囲気ではある。いわゆる「暗い森」と言うやつだ。まずは歩いてみようか。どこへ行くかはわからないけれど。
 森から出たら、どんな景色が見られるのだろうか。魔術士たちが住む家は、いったいどんなふうなのだろう。楽しみだ。

 ふいに、ぼろぼろの黒っぽい布を頭からかぶり、全身をおおった男が現れた。いや、僕が見つけたと言った方がいいのかも知れない。その姿はひどく貧しい。両足も裸足だ。汚れ、骨が浮き上がる痩せた骸骨の足だ。
 その男は僕に気づくと、一瞬で僕の全身の観察を終え、すぐにひどく怯えたような疲れ切った表情を強張らせて、太い木の幹の間に自分の身を隠そうと足早に逃げだした。
 「あ、ちょっと待って」
 僕は反射的に走りだし相手に追いついた。
 追いついた相手を側で見ると、ますます相手の見すぼらしさが目についた。黒い服は汚れが目立たないはずなのに、汗や垢、ほこりや汚れで、まだらになっているのが見える。顔も目の下のくま、かさかさに乾燥した皮膚や色のない唇などが、汚れと疲れでいろどられ、見る者を思わず一歩引かせずにはおられない。その上、飢えていることが、一目でわかった。
 追いついたものの、その姿を目の当たりにすると、何も聞くことが思い浮かばない。相手も、とまどったような疑惑の表情を脅えの中に浮かべ、こちらを見ている。
 「旦那、火を下せえ」
 ふいに男がしゃがれた声を発した。
 「何を?」
 僕は相手がしゃべったことに驚き、言ったことを聞き取ることができなかった。
 「火を」
 そう言って、貧しい男は側に落ちている細い木の枝を何本か小わきに抱え、そのうちの一本を僕の方に差し出した。
 「ああ、火か」
 僕は反射的にポケットを探る。ライターを取り出し、火を枝につけてやった。枝が少し湿り気味なのか、ちょっと時間がかかったが、何とか火は枝についた。
 男は、しばらくの間、うれしげに目を輝かせ、じっと火を眺めていたが、火が自分の手元にまで広がってくると、思い出したように小わきに抱えた枝の束から、一本の枝を抜き出し、新しい枝に火を移して古い枝を捨てた。そうして僕の方に向き直って言った。
 「ありがとうごぜいます、偉大なる法術士様」
 それだけ言うと、男はくるりと背を向け、太い木々の間に歩いていく。
 魔術界に来て、第一に出会ったのが、こんな男だった。
 今の男の後を追っていけば、人の住んでいる所に行けるのではないか、とふいに思いつき、僕はあたふたと、男が捨ててゆく火のついた木の枝の明かりをたよりに、男の後を追い始めた。声をかけたら逃げられそうな感じなので、男の姿が見えるようになっても、声はかけなかった。僕のことも気づかれないように気をつけた。火をもらったことは嬉しそうだったけれど、それ以上は僕と係わりたくなさそうだったからだ。とりあえずは、人のいる場所へいくことが先決だ。

 男がたどり着いた場所は、森の中のすこしひらけた広場だった。男のまわりに、木々の間から同じように貧しげな人々が、ばらばらと出てきて男を取り囲む。
 「火だ、火だ」
 男のまわりに集まった数十人の人々は、口々にそう言いながら、踊りはじめる。しばらくして男は広場の真ん中に火を置いて、焚き火を作った。人々は次々に森の中へ入って行き、小枝をかかえては戻ってくる。
 そうして皆、火のまわりに思い思いの恰好でくつろぎ、ときおり固い木の実を、ぼろぼろの服の中から取り出しては、石で砕き、ゆっくりと口に運んでいる。
 (何をしているのだろう。何かの儀式だろうか)
 それが僕が彼らを観察して思ったことだった。
 それから、ずっと人々はそこでそうしていた。夜になっても。夜がふけても。僕はポケットの中の携帯用食料をかじりながら、見張りつづけたけれど、誰かが動く気配は、ちっともなかった。そうしているうちに眠ってしまったが、翌朝目覚めてみた時も、やはり昨夜から変わったようすはなかった。彼らのようすは、まるで魔術士には見えない。魔術が使えるのならば、火なんて必要ないはずなのに。魔術士は本当に僕を魔術界に送ってくれたのだろうか。これじゃあ原始人だ。
 翌日も彼らは、ずっとそうしていた。まるで火を失うのを恐れているようだと、翌日の昼過ぎになって、やっとわかってきた。「他のコミュニティーの連中が、火を奪いに来たらどうする?」と、昼過ぎになって人々が相談しはじめたのだ。
 このあたりは、火を使える魔術士がいない区域なのだろうか。
 僕は、そんなふうにあれこれと考えてみた。彼らが魔術士とは、どう見ても、どう考えても思えなかったのだ。
 そうこうしているうちに、木の枝を手にした人々が次々と広場のまわりに集まり、火のまわりの人々は、火を守ろうとするうのように、同じように木の枝を持って、自分たちを取り囲む人々を威嚇した。
 僕はと言えば、今朝からずっと木の上にいた。見つからないように葉々の間に隠れていたのだ。
 広場を囲む人々の群れが時間がたつにつれ、じりじりと増えてゆき、ふいに何かの合図があったかのように、人々は戦いはじめた。襲いかかった人々は、自分の持っている枝に火をつけようとしていた。
 木の枝でお互いに殴りつけあうと言う、ひどく荒っぽい戦いだった。皆、火に近づこうと懸命だ。別に火は減るものではないのだから、わけてあげてもいいと思うのだが、彼らはそうは考えてはいないようだ。
 そうこうしているうちに、雨が降りだし火は消えてしまった。人々は争いをやめ、散らばってゆく。もとからその場にいた人々は、それぞれ木の下に座り込み、雨をしのぎはじめた。しかし大して雨避けにはならず濡れている。どうやら彼らには家がないようだ。森の木々の間で雨風を避け、木の実を石でつぶして食べ、川の水を飲む。それが、彼らの生活のようだった。
 どうみても魔術士ではなかった。
 魔術は誰も使わない。魔術士が見せてくれた、あざやかな魔術を。
 僕は別の世界に飛ばされてしまったのだろうか。

 僕は森を抜けた。小さな村をいつくも通って、町もめぐった。その結果、わかったことがある。この世界には、魔術士が言った通り、『道具』と言うものは存在しないと言うことである。生活のすべてが魔術によって成り立っている。だから魔力のない者たちは、服一つ満足に手に入れることはできないのだった。すべてが人間の肉体か、魔術か、その二つしか使えるものは存在しなかった。もっとも魔術を使える者たちが、自分の専用に自らこしらえる「道具」は別であるが。
 本当に道具と言う存在がないのだ。あるのは肉体のみ。いや、正確に言えば道具は存在している。けれどすべて作った本人専用の道具だ。他の者には使えない。
 それから僕が人間界で出会った魔術士は、そうとう上級の魔術士だと言うこともわかってきた。軽々と魔力を使うことのできる魔術士は特権階級に属している。僕がこの世界に来て森で出会ったほとんど魔力も持たない人々が、九割以上を占めていた。
 人間界で言う小中学生ぐらいまでの魔術界の子供たちは、すべて親の地位に関係なく全寮制の学校で教育、養育される。まだ魔力が現れるからどうかが不明だからである。そして魔力が発した者だけが、より上級のギルドと呼ばれる魔術の研究機関へと入らされ魔力を鍛えることができる。こうして魔力を持っている者は、その魔力の大小によって、さまざまな物を手に入れることができる。
 一方、残りの無力者(魔力のない者)たちはすべて何の準備もなく、学校から追い出されるのである。卒業ではない。ただ追い出されるのである。自分の身を守る方法も、食べ物を手に入れる方法も、生きていく手段も持たないままに。そして彼らは突然、魔力を得ることがない限り、自分で手に入れることができるものは、死ぬまで死だけなのだ。
 何というひどい世界だろう。あまりに自分の実力を、はっきりと自覚しなければならない境遇と言うのは、とても残酷なのだと思い知らされた。しかも判断基準が一つにして唯一しかない。
 人間世界の学校では、たとえ数学が苦手でも、他の科目がある。勉強が苦手でも他のことがある。音楽でもスポーツでも趣味でも絵でも。それらがだめでも人柄がある。たとえ世間の人々からどう思われようとも、安らげる家庭を作ることもできる。
 けれど、この法術界(魔術界)では、魔力の力がすべての評価基準とされている。知識も家も財産も地位も人柄ですら、すべてが魔力の大小によって手に入れることができ、人々の価値観となっている。
 そして、この僕も魔術界では何一つとして力を持たない者なのだ。
 そう。人間界に帰る手段すらも───
 僕はそのことに改めて気づいた。
 ──もう絶望しか残っていないのか?


第3部へ続く