魔術具 第3部 再会

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魔術具

第3部 再会

 手入れのゆきとどいた清潔な街の公道をゆっくりと散策しながら歩く。喉が乾いたころには、ちょうど手頃なカフェが見つかる。ぶらりと気軽に入ってアイスココアと、塩味のビスケットを注文する。ゆったりと椅子に腰掛けながら、全面ガラス張りの大きな窓から石畳の道を行き来する人々の姿を見て楽しむ。やがて洗練された物腰でお盆の上にのったグラスとビスケットの入った小さな籠を、背の高いウエイターがテーブルの上に静かに置いてゆく。
 アイスココアに口をつけ、ビスケットの端をかじりながら窓の外を眺めているうちに、建物の向こうに観覧車がゆっくりとまわっているのに気づく。けっこう小さく見えるから遠いだろうが、街中ではありそうだ。移動遊園地でも来ているのだろうか。行ってみるのも悪くはない。
 突然、カフェの前の赤い木枠の公衆電話に、おしゃれに着飾った若い女の子が入って電話を始める。巻き貝のように流れる線を描くように巻かれたスカートは、ひどく手の込んだものだ。よく見ると耳飾りも同じデザインをしている。
 反対側から歩いてきた洒落た紳士が、その公衆電話の隣に、ふと立ち止まり、内ポケットから煙草とライターを取り出して火をつける。そうして再び歩いて行く。
 からし色に塗られた木のベンチでは、老人がもう何時間も新聞を読んでいる。暖かそうな上着の前は開けられている。そう。今日は、ぽかぽかと日差しも暖かく、散歩にはもってこいの日和だ。丘の上の宮殿にまで足をのばしてみようか。壮麗な大理石の宮殿は、やはり明るい日差しの下で見たほうが、その美しさがわかって良さそうだ。
 お金を払い、カフェを後にする。朱色や黄金色にまだらに染まった木々の下の石畳の上をゆっくりと歩いてゆく。前からは自転車にのった少年たちが楽しげにやって来て、すぐ隣を春風のように通り抜けてゆく。どこかへ行くのだろうか。それとも帰ってきたところだろうか? ひょっとしたら移動遊園地にでも行くところなのか。ひとつは明るい青色。もうひとつの自転車は明るい黄色。
 風も穏やかだ。
 なんて気持ちの良い日だろう。
──けれど。
 けれどおかしい。
 だって私は魔術界に帰ってきたはずなのだから。これでは人間界ではないか。
 魔術士は抹茶色の両目で街のようすを眺めた。手には、さきほど本屋で買った「大都散策案内」が握られている。この本にはすでに目を通していた。
──私は一体、どこにいる?
 魔術士は空を見上げた。十数年ぶりに魔術界へ帰ってきたところだった。けれど帰ってきた魔術界は、あまりにも人間界に酷似していた。最初は人間界の別の場所に召喚されてしまったのかと納得してしまっていた。けれど、ここはまぎれもなく魔術界だった。人間界をさまよっていたのは、ほんの十数年にすぎない。けれど、その間に魔術界は激変してしまっていた。
 いろいろと調べた魔術士には、すでにその理由がわかっている。
──この世界も好きだけれど。でも。
 魔術士は、ゆっくりと濃い緑色のマントをひるがえしながら歩きはじめた。向かう先ははっきりと決めてある。今は高い建物に囲まれていて、まだ見えない。けれど向かっている先には必ずある。逃げはしない。なぜなら、その建物には魔術などかけられてはいないのだから。

 王宮には魔術はかけられていない。けれど警備装置はあった。だが魔術士には関係はなかった。目的の人物がいる場所を魔力で確認し、直接、ひらりと空中に舞い上がり目的のテラスに着地する。「彼」は、そこにいた。立って、魔術士の方を一人きりの部屋で見ていた。
 「帰ってきたのか・・・」
 彼はかなりの驚きを見せた。
 「会うことはあるかも知れないが、ないかも知れないと思っていたよ」
 彼の驚きは、やがておさまり彼は魔術士に話しかけはじめた。
 「また・・・召喚されたのでね」
 魔術士は、ぽつりと答えた。その言葉に彼が反応する。
 「この世界の人間が?」
 そう言って、くすりとおかしそうに笑いをもらす。ひとしきり笑った後、魔術士の顔を彼は少しばかり挑戦的な目で見た。
 「この世界で起こったことを知っているという顔だな」
 「・・・知ったよ」
 魔術士は、手にしていた本をぎゅっと握った。
 その本に書かれた歴史の部分には、ここ数十年の出来事が簡潔に書かれていた。

──それまで少数の貴族階級のみが独占していた道具であったが、この時代、道具を大量に生産できる技術が発展し、一般の庶民たちも道具を持つことができるようになると、ただ神の力を持っているから民を支配することは当然であると主張していた貴族階級の言い分は、もはや通じなくなった。財や権力を所有できるようになった庶民たちは、やがて各地で革命を起こし、九月革命と呼ばれる大規模な革命が起こる。これらの一連の革命により特権階級は処刑され、追放され、財産を奪われ、民の時代となった。

 歴史にはそう書かれている。人々もそれ以外の事実は口にしない。けれど本当のところは、手に入れ、使うことによってその能力を身につけることが誰にでもできる道具に、魔術界は席巻されてしまったのだった。召喚者がもたらした数々のさまざまな道具は、魔力の弱い者たちを魅了し、そしてまた魔力を持っている者たちに対しても、その便利さで引きつける力を持っていた。こうして魔力のない者たちは道具を使い、魔力のある者たちも次第に魔力を使わなくなってゆき、魔力はわずかな期間に機能遅れの道具のように、人々の記憶から忘れられていった。
 もちろん魔力を中心とした制度を変えたくない人々は抵抗した。かなり抵抗したのだ。けれど道具に魅了された人々の方がすでに力を得ていた。少数となった魔術士たちは処刑されたり、追放されたりして、この世界の表からは消え去った。
 一方、道具を魔術界にもたらした召喚者は、世界の王となっていた。道具の作り方の情報を独占することによって君臨していたのである。
 「君は・・・魔術を使える者を消してしまっただけでなく、魔術の存在すらも、この世界の歴史から消してしまったんだな」
 魔術士は、ただ静かにそう言った。かつての召喚者に。そして自分に素晴らしく魅力的な道具の存在を次々と教えてくれた友に。
 「いいや、僕は僕なりの『魔術』を使っただけさ」
 召喚者は、そう悪戯っぽい笑いを浮かべながら答えた。魔術士は、その言葉の意味がわからずに小首を傾げる。それに気づいたのか、召喚者はしかたがないな、と言うように口を開いた。
 「君は僕の持つ『魔術』の存在を教えてくれたんだ。気づかなかったのかい? 僕は自分がこの世界では、『特別な魔術』を使うことができることに気づいたのさ。誰でも使うことができる道具を作りだすと言う魔術をね」
 召喚者は、いたずらっぽく言い放った。かつては道士と呼ばれ、今は王と呼ばれている召喚者の姿を、抹茶色の目をした魔術士は、静かに見返してその言葉を聞いた。
 「君だって好きなんだろう? 道具が。気に入ったと、あの時言っていたじゃないか。だったら、ここにいればいい。道具に囲まれたこの世界にね」
 召喚者はそう言う。
 魔術士は何も答えない。ただ静かにたたずんでいるのみ。
 魔術士と召喚者は黙って見つめあった。しばらくして魔術士が、やっと口を開いた。
 「好きだよ。たしかに道具は好きだ」
 しばらくの間と、魔術士のその言葉から、召喚者は魔術士が喜んではいないことを感じ取ったようだった。つけたすように言い放った。
 「僕は、この世界で生きていく方法に気づいて実行しているだけだ。それが君の世界の価値観を破壊するものであったとしてもね」
 「知っているよ」
 どこか弁解するような召喚者の言葉にも、魔術士はただ静かに答えるのみだ。
 「この世界も好きだ。好きだけれど、でも──」
 召喚者は魔術士の言葉の続きを静かに待つ。
 「・・・でも、ここに私の居場所はない」
 そう言ったまま、魔術士の姿は召喚者の目の前から消えた。
 召喚者はあわててテラスに駆け込み、下をのぞく。次に上を見渡す。だが上にも下にもどこにも魔術士の姿は見当たらなかった。友が自殺したのではなかったことに、ほっとしながらも、もう二度と会えないことも、はっきりと自覚してしまい、自分の感情を感じ取らないように麻痺させた。
 何も感じないことだ。何も考えないでいよう。何もなかった。
 召喚者は、そう自分に言い聞かせ、別のことを考えようとする。
 そういえば────
 お互いに最後まで名前では呼ばないし、聞かなかった。魔術士と召喚者と呼び会うだけで。彼の名前を知らないままだ。出会ってからずっと、魔術士と呼んでいた。
 けれど今となっては、その呼び名が、彼にはこの上なくふさわしいように思える。だって彼は、あちらの世界でもこちらの世界でも本物の『魔術士』なのだから。
 召喚者は、そっと両目を閉じた。


 こうして──異世界にも人間の住む世界が、またひとつ誕生する。

 そこでも人々は、やはり──やがて『異世界』から来た魔術士に憧れるのだろうと言う予感がしていた。


    おわり