山荘の怪

文字の大きさは、こちらで変えられます→ 小 | 中 | 大 |

山荘の怪

ユリ・シリーズ


 「まずいなあ。すっかり遅くなっちゃったな」
 ユリは助手席から、街灯すらない真っ暗な窓の外の道に目を向けながら、そうつぶやいた。
 「何も困らんさ。道は続いてるんだ。ゆっくり帰ればいい。眠かったら寝てろ」
 車を運転中の藍色の目の友人は、いつも通りの落ち着いた態度で答える。重そうな四駆も、かるがると運転しているところが、友人らしい。
 「そうじゃなくてさ、お腹がすいたなあって・・・」
 「・・・」
 友人は黙った。
 「こんな山道じゃ、しばらくは何もないぞ」
 やっと口を開いた友人は、そう言った。
 「だろうね。コンビニもなさそうだし、本当の山奥だな」
 「さっき看板が見えたんだが・・・まだ通り過ぎてないと思うんだが、『この先一キロ、すずめの宿』って看板があった。たぶん民宿かペンションだろうが・・・泊まってくか?」
 「一晩中、運転するのは疲れるだろ。泊まっていこう。そうすれば、明日も帰り道に寄り道できるだろうし、一石二鳥だ」
 ユリは、うきうきとした口調で答えた。これで、やっとゆっくりと休めると思うと、元気が出てくると言うものだ。
 「わかった」
 そう答えると、友人はアクセルを踏み込んだ。

 「あそこかな」
 新月の夜だった上に、覆い被さるような木々の間を、抜けてゆくのは、まるで
暗黒の沼の底をもぐっているかのような、ひどく嫌な気分だった。だから、木々の間だか、道だかわからない闇の先に、ぼんやりとした明かりが見えた時、ユリは正直言って、ほっとした。もう少し、この暗黒の道が続いていたら、一晩中運転することになってもいいから、帰ろうと友人に泣きつくところだった。
 「そうみたいだな」
 藍色の目をした友人は、低い声で答える。別に、この暗闇を薄気味悪く感じてはいないようだ。
 そのこじんまりとした、ひどく古風な木造の建物の前に車を止めると、扉の前に立ってみるが、呼び鈴がどこにも見当たらす、ユリはとまどってしまう。一応、扉の隣に、「すずめの宿」と言う看板がかけられているから、宿には違いないようだが。
 「・・・なんだか、随分と古びてるなあ」
 そう感想をもらしたユリに、友人はにやりと口の端に笑いを浮かべる。
 「おまえの好きそうな建物じゃないか。昔の金持ちの別荘って感じだな。あのテラスや、窓枠なんかのいかにも凝った作りは、おまえの好みだろ?」
 「そんなとこ、暗くてよく見えないよ」
 建物の端の方は、暗闇に溶けこんでよく見えない。まるで黒い霧の中から、一部だけが見えているようで、無気味な感じがする。そう思って、ユリはなるべく見ないようにしていたのだ。
 「それより、はやく入ろう」
 ユリは怖がっていることを知られたくなくて、さっさと話題を変えるために、扉を強めに叩いた。
 「こんばんは~」
 窓から明かりがもれているから、人がいるだろうとは思っていたが、なかなか反応がないので、少し気味悪く感じ始めた時、やっと扉の内側で物音がして、重い扉が開かれた。
 「はい? 何か」
 少しだけ扉を開け、顔を出したのは、三十代の女性だった。不審そうな表情をしている。まあ、当然だろう。夜に見知らぬ人間が、しかもこんな人里離れた場所であれば、なおさらである。
 民宿だかペンションではなかったのかな、とユリが思いかけた時、女性の後ろから一人の男性が女性に声をかけてきた。
 「ああ、お客さんか?。めずらしい。いえ、歓迎ですよ。さあ、あがってください」
 おそらくは最初にあらわれた女性の主人だろう。ほがらかな口調で、愛想よく笑いながら、ユリと友人を中に入れてくれる。若い夫婦がペンションを経営していると言う感じだ。
 「パパ、お客さん?」
 パタパタと小さな足音がして、かわいらしい女の子が男性の足元にまとわりついてきた。うさぎの耳のように、髪の毛を高い位置で二つに結んでいる。
 「こんばんは」
 うさぎのような小さな女の子に挨拶されて、挨拶を返しているうちに、だんだんとユリは気分が落ち着いてくる。薄気味悪い夜の森の中には帰りたくなくなっていたから、どうやら主人が泊めてくれそうなことに、いっそう安堵してしまう。
 とあるペンションに、泊まることになる。思わぬ時間が遅くなってしまったからだ。
 「あまり、立派な食事は期待しないで下さると、ありがたいんですが・・・」
 「そんな・・・ご飯だけでも結構です。もう、遅いですから・・・」
 と、ユリは答えたものの、けっこう空腹だったので、出てきた食事に、おかずが何品もあったことに、ひどく感激した。
 「どんどん、お代わりして下さいね」
 最初は不審そうだった奥さんも、にこにこと笑顔で気さくにおかわりを勧めてくる。どうやら、もともとは人好きなようだ。
 「すごく、おいしいです。近くで取った山菜ですか?」
 ユリがたずねると、奥さんはうれしそうに笑いながら、自慢げに答えた。
 「自家菜園で作ったのよ。いろいろなハーブを育てているのよ。これでも若い頃は、料理の修業をしていて、小さな惣菜屋を開こうと思っていたの」
 「へえ。すごいですね。それで、こんなに洒落た料理を作れるんですね」
 「そうよ。ちょっと自慢なの。私の食事を気に入って、わざわざ食べにきてくれるお客さんもいるくらいなんだから」
 「ママはデザートもおいしいんだよ。おにいちゃん、食べてみて!」
 いつのまにか、テーブルの側に来ていたうさぎ少女が、にこにことうれしそうな顔をして、ユリたちを見上げている。
 そんなこんなんで、ユリたちが、おいしい自家製デザートを味わっていると、奥さんが大きなお盆を階段の方へ運んでいくのが見えた。
 「あれ。他にもお客さんがいるんですか?」
 部屋食の泊まり客がいるのだと判断したユリが、声をかける。
 「いいえ、違いますよ。これは、うちのおじいちゃんの夕飯なんです」
 「ひょっとして、僕らがこのテーブルを使ってしまったから・・・」
 「違いますよ! そこはもとからお客さん用なんですから。おじいちゃんは、人嫌いでいつも自分の部屋で食べるんです。ニ階の一番奥の部屋です。お客さんたちの部屋はニ階の一番手前に用意してありますから、ご迷惑にはならないと思いますが・・・ちょっと偏屈なところがあるので、もし迷惑をかけたら、ごめんなさいね。私たちは三階にいますから、何かあったらすぐに知らせて下さい」
 そう言って、奥さんは、ぱたぱたと足音を立てながら階段をのぼっていった。

 食事を終えたユリと友人は、階段をのぼり、ニ階に用意された部屋へ向かった。だが、階段をのぼりきった所に一人の老人が立っていることに気づいて、足をとめる。
 頑固そうな表情が、じっと二人の方へ視線をそそいでいる。あまり友好的には思えず、ユリは友人の広い背中に隠れようとするかのように、思わず半歩後ずさった。
 「・・・このお屋敷の御主人ですか。かなり立派な建物ですね。名のある建築家に建てさせたものだと推測しましたが・・・ロイズ様式の特徴が良く出ていたような・・・暗すぎてはっきりと見えなかったのが残念だ」
 普段は寡黙な友人が、落ちついた口調で口を開いた。
 「ほう! 若いのに随分と博識なことだ!」
 老人は感心したように、背の高い友人を見上げた。なかなかやるな、とその目は言っており、好感を持ったようだ。頑固そうな顔はそのままだったが、先ほどとはあきらかに雰囲気が違う。
 「わしが若い頃に建てさせたんじゃ。わざわざイギリスから建築家を呼びよせてな」
 老人は機嫌よく口を開きはじめる。
 「玄関を入ったところは、ダンスパーティ用の広間でしょう。今は食堂になっている部屋と一続きで」
 友人がそう指摘すると、老人は多きく目を見開き、感嘆の声をあげる。
 「ほう! そこまでわかるとは! 若いの、建築家かな?」
 「いえ」
 「まあ良いわ。見る目がある奴がこの屋敷にきたのは、何年ぶりかの。そうじゃ、あの食堂! かってに壁をつけて広間をつぶしよった! 華族や異国の公使たちがつどった由緒ある広間だと言うのにな!」
 老人はいまいましそうに、顔を紅潮させて言葉を吐き散らす。
 と思った瞬間、顔をしかめ、胸元を苦し気につかんで膝をついた。
 「大丈夫ですか!」
 びっくりしたユリは老人にかけより、友人は三階へ走ってゆく。オーナーか奥さんを呼びに行ったのだろう。ほどなくして奥さんが、三階からかけ降りてきて、老人に薬を飲ませた。
 少しばかり発作が治った頃、オーナーが一階から昇ってきて、老人に気づき、奥さんと二人で抱えるようにして部屋に連れて行った。
 「すみません。ごめいわくをおかけしまして」
 申し訳なさそうにオーナーは振り返り、軽く頭を下げた。それ以上は老人を抱えているためにできなかったが。
 「お大事に」
 大変だな、と思いながらユリは、老人の後ろ姿を見送った。

 「ふう。つかれたなあ。でも、こんないいところに泊まれて、本当よかったよな。ご飯はおいしかったし、部屋もきれいだし」
 ユリは、そう言いながら、シャワーを浴びて軽く拭いたままの髪の毛のまま、ベッドの上に寝ころんだ。
 「乾かさないと、寝癖がつくぞ」
 藍色の目の友人は、ちらりとユリを眺めて言った。
 「うーん、そうかな。でも、今日は疲れたし、もう寝たいなあ」
 「髪だけは拭いて寝ろ」
 藍色の目の友人は、そう言うと、乾いたタオルをつかみ、ユリの髪の毛を乱暴な手付きで擦った。
 「ほら。後はちゃんとといて寝ろよ」
 「うーん、わかった」
 ユリは眠そうな声で答えながらも、手許の櫛で軽く髪を溶かすと、そのまま布団の中にもぐり込んだ。自分では意識していなかったが、けっこう疲れていたらしく、なかなか寝付かれないユリにしては、すぐに寝入ってしまった。
 シャワーから出てきた友人は、ぐっすりと眠り込んでいるユリの髪に触れ、乾いていることを確認すると、自分もさっさとベッドに入った。

 疲れて、ぐっすりと眠り込んでいた二人は、大きな物音で目がさめた時、それが何時なのか、まるで判断できなかった。
 「・・・何か・・・大きな音がしなかった・・・か?」
 半身を起こしたユリは、暗闇で何も見えなかったが、友人が起きていることを感じ取り、そっと声をかけてみた。
 「見てくるから、待ってろ」
 友人が起き上がる気配がし、足音と共に部屋の扉が開く音がした。
 「俺も行くよ」
 ユリはあわてて起き上がり、友人の後を追う。暗い部屋でじっとしているのは嫌だった。
 友人はユリの言葉を聞いて、入口で待っていたらしく、先に廊下に出てしまったものと思い込んでいたユリは勢いよくぶつかってしまった。
 「うわ! ごめん」
 「いいから気をつけろよ。電気が切れてるみたいだからな」
 「え? 電気、つかないのかい?」
 友人の意外な言葉に、ユリは驚いて、暗闇の中でいっそう暗い影のように見える友人の顔あたりを見上げた。
 「どうやら、ブレーカーが飛んでるか、停電だろうな。スイッチを入れてもつかない」
 「そっか」
 「ここで、待ってるか?」
 「いや、気になるから一緒に行くよ」
 「じゃあ、足下に気をつけろよ。何もぶつかるものはなかったはずだが、階段は危ないからな」
 友人はそう言うと、ユリの手をつかんで、廊下を進みはじめた。
いつもよりは、ゆっくりと進んでいるが、友人は迷わずに進んでいる。ユリの方は友人がひっぱってくれる手の導きがなければ、とてもこんな風に暗闇の中を歩くことはできないな、と思いつつ感心していた。
 「ここから階段だ。気をつけろよ」
 「ああ」
 友人の言葉にユリは気をつけて階段に足をかけようとして、足を踏み出し、予想と違う感触につまずきかけ、驚いて口を開いた。
 「三階のオーナーたちの部屋に行くんじゃないのか? 一階に降りてどうするんだよ?」
 「さっきの物音は、下から聞こえなかったか?」
 「え? そうだったかな。大きな音がしたことには気づいたけど、外から聞こえたような感じしかしなかったけどなあ」
 ユリは友人が、寝ている時に聞こえてきた、あんな短い音のした方向まで聞き取っているなんて、あいかわらず、すごい洞察力だな、と感心する。
 「何の音だったんだろう」
 階段を注意深く降りながらも、気になってユリは友人に話しかけてみる。
 「さあな。何しろ寝てたからな。振動を感じたから、物体が動いたとは思うが」
 寝ていたと言う割には、音のした方角をしっかりと把握してたくせに、とユリは思ったが口には出さなかった。
 「木でも倒れたのかなあ」
 ユリは森に囲まれていることを思い出し、ふとそう思いついた。
 「ここで、階段は終わりだ。気をつけろよ」
 友人はユリの腕を支えるようにして、ユリが最後の一段を降りるのを立ち止まり待った。
 「ふう・・・やっと一階か」
 ユリは緊張が解け、ほっと息を吐く。暗闇で手探りで階段を降りることが、こんなに緊張することだとは思わなかった。
 「それにしても本当に真っ暗闇だなあ。やっぱり都会と違って余分な光がないせいかな」
 ユリがそう言うと、友人は暗闇の中から答えた。
 「それが一番大きいと思うが、今夜は月が隠れているせいもあるだろうな。何一つとして明かりがない」
 「そういえば今夜は新月だっけ」
 ユリがそんなことを考えている間にも、友人はユリの手を引き玄関の方へ向かう。扉の前で立ち止まった友人の手許からドアノブをまわす音が聞こえてきた。
 「鍵はかかってるみたいだな」
 友人がそう言ったその時、
 ドン。
 と言う音がしたかと思った瞬間、どたどたと階段の方から何かが落ちる音がし、驚いたユリたちが駆け戻ると、暗闇の中で、オーナーが「いたたたた・・・」と呻いていた。
 「大丈夫ですか?」
 ユリはしゃがんで声をかける。
 「いたた・・・大丈夫です」
 カチリ、と言う音と共に眩しい光が目に差し込み、ユリは反射的にまぶたをおおった。
 そっと目を開いて、光に慣れさせると、その光がオーナーの持つ懐中電灯の光だと気づく。
 「すみません。床に光を向けるべきでした。眩しかったですね」
 オーナーは申し訳なさそうに、頭を軽く下げる。
 「いえ、かまいません。それよりも、さっき大きな音がしませんでしたか?」
 ユリが聞いてみると、オーナーはすぐに同意するように答えを返してきた。
 「ええ、聞こえました。それで泥棒でも入ったのかと思いまして、様子を見に降りてきたんですよ」
 ・・・なるほど。夜中に不振な物音と言えば、泥棒と考えるのが普通だ・・・とユリは、そう思い浮かばなかった自分の脳天気さに、少々あきれた。
 「それに電気がつかないのもおかしいですしね。ヒューズが飛んだか、変な奴でもうろついていて電源を切られたかもしれませんから・・・」
 オーナーは、緊張した表情で言葉を続ける。
 「そんな奴がうろついていたら、危険ですね。奥さんと子供さんは部屋の方ですか」
 「ええ。念のためにカギをかけておくように言ってあります」
 「他に宿泊客はいなかったな」
 それまで黙っていた友人が、ふいに口を開く。
 「はい。お客さんはあなたたちだけです」
 「不審者か・・・こんな奥まった森の奥にわざわざ泥棒が来るとは思えないが」
 友人のその言葉に、オーナーはちょっと顔をしかめて見せたが、すぐに表情を戻して言った。
 「人が少ないからこそ、助けを求められないから、安心だと判断して来る奴はいるんですよ。頭のおかしい連中がね」
 「それよりブレーカーはどこですか? はやく明かりをつけた方がいいですよ。変な奴がひそんでいるかも知れませんし」
 ユリは暗闇にまぎれて不審者が出て来るのではないかと思うと、気が気ではなかった。少しでも早く明るく、はっきりと見えるようになって欲しかったので、まずは明かりをつけてもらおうと提案した。
 「ああ、そうですね。その方がいい」
 オーナーはユリの言うことがもっともだと言うように、キッチンの入口の方へ懐中電灯の明かりを向けながら歩き出した。それを追うように、友人が歩き出す。
 歩き出した友人にひっぱられて、ユリもあわててついてゆく。そこで、まだ友人が自分の手を握っていてくれたことに、初めて気づき、もう懐中電灯の明かりがあるから平気だと離そうとしたが、友人の手が固く握っているので、明かりがつくまでそのままにしておくことにした。 
 オーナーがキッチンの扉の上に取り付けられていたブレーカーを上げると、うっすらとした防犯用の常夜灯が
ぼんやりと室内の家具を浮かび上がらせた。
 カチリ、とひそやかな音がして、キッチンの明かりがつく。
 しばらく眩しさを感じたが、やがて光に慣れて室内を見まわせるようになる。
 手分けして、戸締まりと異常がないかを調べて回ることにした。
 「特に異常はないようですね。ありがとうございます。お疲れなのにつきあわせしまって、本当にすみませんでした。後は屋外だけですが・・・これはお客さんであるお二人をつきあわせる訳にはいきません。
 もう、お二人は部屋に戻ってください」
 オーナーはそう言うと、玄関の扉を開け、そして外から再び鍵をかけた。見回っている最中に不審者が入ってきたりしないように。
 「一人じゃ、危なくないかなあ」
 ユリが心配そうにつぶやくと、友人はユリを見下ろして答えた。
 「心配はいらんさ。不審者なんていないだろうしな。さあ、もう寝るぞ。疲れてるだろ」
 友人は、まだためらっているユリの背に手をあてて歩き出す。
 「やけに自信があるみたいだな。不審者がいないって、
どうしてわかるんだよ?」
 「ゴミ箱でも倒れた音だろ。こんなへんぴな場所に不審者なんか来ないさ。泥棒に入るにしても、何時間もかかったあげく、家が一軒しかないんじゃ効率が悪すぎるからな」
 「でも・・・」
 「心配いらない。行くぞ」
 「うーん」
 でも一人と言うのは、やっぱり・・・とためらっているユリだったが、友人が力強い手で背中を押すので、そのまま部屋に戻ることになってしまった。

 翌朝、目がさめたのはいつもより少し遅い時刻だったが、別に急ぐ用もなかったので、のんびりと着替えて食堂に降りて行った。
 「おはようございます」
 にこやかな笑顔と共に奥さんが、挨拶をしてくる。
 「おはようございます。今日もいい天気ですね。こんな日に森の中を散歩したら、気持ちよさそうですね」
 ユリはそう言いながら、テーブルに腰かける。
 「森の散策コースなんてないですから、ダメですよ。自然の森は危ないんですから」
 奥さんは、にこにこと笑って答えながらも、手際よく食事をテーブルに次々と並べてゆく。
 焼き立てのパンの香ばしいにおいが、たちまちテーブルの上にたちこめる。バターと自家製の数種類のジャムとはちみつの壜が置かれ、たっぷりのジュースやミルクがカップに注がれる。ベーコンにハム、ソーセージが、チーズの挟まれたスクランブルエッグと共にあらわれ、木の実をまぶしたサラダが置かれる。
 「うわあ、おいしそうだなあ。いただきます」
 ユリは喜んで、食べはじめた。もちろん友人も。こちらは感動したようすは見せないが。
 「夕べはよく眠れましたか? ごめんなさいね。せっかく気持ちよく眠っていらしたのに」
 食後のヨーグルトを差出してから、奥さんは夕べの騒ぎのことを、二人に詫びた。
 「平気ですよ。全然気にしてませんから」
 ユリは、にっこりと笑って答える。
 と、その時、オーナーが慌てた様子で食堂に飛び込んできた。
 「大変だ! お父さんが!」
 「どうしたの、あなた?」
 「どうかしたんですか?」
 奥さんとユリの質問が重なる。
 「それが・・・死んでいる・・・みたいなんです」
 「ええ!?」

 その後、すぐに医者が呼ばれ、そして警察が呼ばれて、ちょっとした騒ぎになったが、結局、老人は心臓発作を起こして亡くなったことが判明した。
 老人は、ベットのすぐ脇に倒れて死んでいたそうである。手には電燈のスイッチの紐が握られていた。夕べの停電の時にスイッチを入れようとしたのだろう。死亡時刻もだいたいあっている。
 「あの電燈のスイッチは、古いせいか固くなっていたので、体重をかけたんでしょうな。運悪く紐が切れて・・・」
 オーナーは、残念そうに言葉をつまらせる。ユリは何も言う言葉を思いつかず、ただ黙っていた。
 ユリと友人が帰るために、車に乗り込むと、窓の外からオーナーが声をかけた。
 「すみません。嫌な思いをさせてしまって」
 「いいえ。僕らの方こそ」
 ユリはそこまで言いかけて、それ以上言う言葉を思いつかず、言葉を切った。
 オーナーは何も言わずに、にっこりと笑ってみせ、ユリも笑いかえした。
 そうして車は発進し、ペンションを後にした。

 「なんだか、後味が悪いなあ」
 ユリは、ぽつりとつぶやいた。
 「どうしてだ?」
 運転席で黙っていた藍色の目の友人は、意外そうな口調で問い返す。
 「だってさ。病気気味の家族がいたのに、急に僕らが泊まったりしたから・・・だから、色々気を使わせてしまったじゃないかと思ってさ・・・急な客が来たから、あのお爺さんも気を使ったのかもしれない」
 気落ちした様子のユリを見て、藍色の目の友人は、しばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
 「ユリ、おまえが気にすることはない。あれは、殺人事件だから、ユリのせいじゃない」
 「え?」
 友人の思わぬ言葉に、ユリは車に乗って以来ずっと、うつむいていた顔を上げて、友人の横顔を見る。
 「どう言うことだい? だって、あれは病で・・・」
 「そうだ。けど、発作をわざと引き起こしたのだとすれば、殺人だろ?」
 「まあ、それは、そうだけど。でも、そんなこと、どうやって?」
 「昨夜、真夜中にかなりの物音がしただろう?」
 「ああ、あれ。でも、あれがどうしたんだい?」
 「目がさめるくらいの大きな音だ。夜中に不審な物音で目をさましたら、最初にどうする?」
 「うーん。とりあえず電気をつけてみるかなあ」
 ユリは、首を傾けて少し考えてから、そう答えた。
 「あ!」
 ユリは老人が電燈のスイッチの紐を手にして死んでいたことを思い出して、短く声をあげた。
 「じゃあ、夜中に老人に電燈のスイッチを入れさせるために、誰かが物音を立てたって言うのかい? それで紐には切れ目でもいれておいた?」
 「そんな切れ目が入っていたら、警察にすぐ見つかるぜ」
 「それはそうだけど・・・だったら、どうして老人が紐を引っぱった時に、紐が切れたんだよ? やっぱり偶然だと思うけどなあ」
 ユリは友人の言う殺人事件だなんて、どうしても信じられない。偶然の重なった自然死に思える。友人の横顔を見上げると、友人は淡々と説明を続けた。
 「簡単なことだ。風船につけた紐を、電灯のスイッチ紐の場所
にたらしておいただけさ。夜中に大きな音がすれば、目が覚める。暗闇の中で、まずは明かりをつけようと、電器の紐をひっぱる。しかも、この部屋のスイッチは、かなり硬くなっていたと言うから、いつもの癖で、思いっきりひっぱったんだろう。固い扉や、接触の悪い機械なんか、人間ってのは、無意識的に微調整しながら使っているのもだからな」
 「それで、思いっきり倒れたって?」
 「そうだ。しかも、びっくりしたことだろうな。体のバランスが崩れた上に、予想外のことが起こって、ひどくびっくりしたのだろう。弱っていた心臓を止めるには、ちょうど具合が良かったんだろうな」
 「でも、そんなことをしたら・・・証拠が残るだろう?」
 「ああ。あらかじめ力づくで引きちぎった電灯の紐を使うにしても、風船が残るな」
 「そうだよ! どうするんだよ!」
 「だから、風船は隠したんだろ」
 「え? だれ・・・が・・・」
 ユリは言葉をつまらせた。
 そうだ。ミステリでもなんでもない。別に密室だったわけではないのだから。
でも、そうしたら、風船を取り除いたのは・・・あの人物と言
うことにならないか?
 「まあ、俺たちを証人にしようと思ったんだろうな。さすがに被害者が倒れる時の物音を隠すためには、手段を選んでいる暇はなかったようだがな」
 「え? 被害者が倒れる音なんてした?」
 「オーナーが階段から落ちてきた時のことを覚えているか?」
 「ああ。暗闇で足を滑らせたんだろ」
 「階段から落ちて来る前に、何かがぶつかるような音がした。あの時はオーナーがどこかにぶつかったのだろうと思っていたが。おそらく、その時に被害者は倒れたんだろう。その音を隠すために、わざと階段から落ちて、音をごまかした・・・とは考えられないか?」
 「そんなこと・・・わからないよ。よく覚えていないし」
 そんな悪い人間には見えなかったのに・・・と思い、ユリは複雑な心境になった。
 「でも・・・なんだって、あんなお年寄りを・・・」
 「あの家族の資産の所有者なんだろ。だから、出て行きたくても出て行けない。財産は欲しかっただろうしな。家族は、さっさと、あんな田舎から出て行きたい。でも、あのじいさんは、昔の栄光の証であるあの別荘から出て行く気はなかった、ってとこだろ」
 「でも、あんなへんぴな場所にある家なんて、売れないだろ」
 「まあ、家自体はたいした金額にはならないだろうが、家具や備品はかなり値の張る骨董品がたくさんあったからな。それを売り払えば、かなりの額になるはずだ」
 友人は淡々と言葉をつむぐ。
 「・・・じゃあ、もう次に来た時には、あの別荘は・・・」
 「誰もいない可能性が高いだろうな」
 「廃墟になってしまうのかな。きれいな・・・建物だったのに」
 ユリは、さみしく感じた。
 そして、もう一度、あの別荘の姿を見たいと思い、振り返って見たが、もう緑の山々が見えるばかりで、建物の屋根すら見えなかった。


       おわり 


ユリと藍色の目の同居人の生活を、もっとのぞいてみたいと言うあなたは