手袋 ~2~

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手 袋

~ 2 ~


 また手袋がひとつ売れた。
 それは園芸士の手だった。

 俺たちの住む街では毎年寒い冬の時期に街の祭りが行われていた。道路があるから車が走る。車が走るから排ガスが排出される。と言うことで、街の中心街の道路全部を緑で飾られた散歩道にして、車を通行止めにしようという案が、祭りの一環として行われることになった。世界中から園芸士たちが集まった。道路は日に日に緑の楽園へと変化を遂げてゆく。アダムとイブが歩いたエデンの園は、こうだっただろうと思わせられるような清々しく、それでいてさまざまな緑の造形物が目にも心にも心地良さを与えた。
 こういうのも悪くないな。いや、大いに結構だ。満足だ。
 俺はひんやりと冷たいけれど不快ではない空気を深く吸い込み、小道を歩きながらそう思った。仕事以外ではめったに外出しない義兄にも、この現代エデンを見せたくて、俺はある晴れてはいるけれど寒い日に義兄を連れだし散歩をした。
 義兄も気に入ってくれたようだ。薄いくちびるの端に微笑を浮かべているのが見えた。そんな充実した時間を過ごしていた時、前々から気になってきた場所に差しかかった。
 思わず足をとめる。
 その部分・・・五十メートルたらずだが・・・だけは何の飾りつけもされていなかった。まだ飾りが途中で作業中の場所も多くあったが、何しろ祭りまでまだ日があったから、だがその空間だけは何も手が付けられていなかった。ただの道路だ。
 「ここは蒲生創平氏の受持ちだよ」
 義兄がぽつりと言った。
 義兄の言葉に、俺は遊歩道のこの場所を緑で飾りつけるデザイナー兼園芸士として、最近急激に人気実力とも上昇中の蒲生創平が任命されていたことを思い出した。そうか。この場所の担当だったのか。そういえば義兄のところに、けっこう前に手袋を買いに来ていたなとうすぼんやりと思い出した。ごつく四角い体。高い身長。大きなたくましい手。黒く固い髪と髭。そうだ。熊のような男だった。

 その後も俺はお気に入りのエデン・・・俺が勝手にそう呼ぶことにした・・・の小道を歩くたびに蒲生の担当地区を見たが、何の進展もなかった。テレビではあいかわらず忙しそうにさまざまな番組に出ている。だから病気ではないようだ。ただ忙しいだけなのか。だったら引き受けなければいいのに。いまいましい奴だ。緑のエデンの中に、剥き出しの道路が存在しているのは見苦しい。

 前日になっても蒲生が担当している場所の飾りつけは済んでいなかった。道路の両端には材料がずらりと積み上げられていたが、優しい焦げ茶色の煉瓦で造られた小道以外は、何も手はつけられていなかった。
 俺は心配になって夜中に、こっそりと様子を見に行った。あの男のことを心配していたのではない。ただ都会にせっかく現れてくれた現代エデンの空間の一角に、剥き出しの道路を見たくなかったのだ。俺は早足でまばらな街頭の光をすり抜け、暗闇の中を急いだ。なぜか心が急かされていたのだ。俺が駆けつけたって、どうにかなるわけではないというのに。何に急かされていたのかはわからない。

 俺がその場所に駆けつけると、まばらな街頭の明かりの中で、黙々と動きつづける黒い人影が、たったひとつだけ見えた。誰かが働いているのだと気づいた。俺はほっとする。何気なくあたりを見回したが、他には人はいない。もう深夜なのだ。
 じゃあひとりで仕事をしているのか。祭りは明日だ。間に合うのか? 俺は園芸に関しては素人だが何か手伝えることがあれば、手伝ってもいい。そう思って俺は人影に近づいた。

 明かりが人影を浮き上がらせた。体格や髪型、髭などから蒲生創平だとわかった。さらに近づき、くっきりと蒲生の姿を見た。

 ギョロリと白目をむき、頭はあらぬ方向を向いたその体は、黙々と働き続けていた。両手からは神の技とも思える技がとだえることなく生み出され続けている。地上の緑が天上の園の植物であるかのように両手によって姿を変えられてゆく。
 けれど体は凍死していた。
 体の動きが不自然なのは、死後硬直が始まっていたためだと、やっとわかった。
 俺は逃げだした。

 翌日、祭りが開催された。義兄がめずらしいことに俺のマンションに姿を見せた。祭りを見にいこうと言う。俺は昨夜見たことが信じられなくて、一睡もできないでいたのだが義兄についていった。義兄に話そうと思ったのだ。けれど何と話しだしたらいいのか、言葉に困っているうちに、昨夜の場所にいつのまにか来ていた。
 そこはもう道路剥き出しではなかった。楽園の一角だった。
 ふりそそぐ緑の空間。こぼれ落ちる花の噴水。遊歩道を歩く人々を優しく緑で包み込むエデンの園、そのものだった。
 俺は思わず足をとめていた。義兄も黙って見ている。
 「すばらしい空間だね」
 黙っていた義兄が、静かに言った。俺は義兄のやわらかいほほえみが浮かんだ顔を見下ろし、ひょっとしたら義兄はすべてのことを知っ
ているのではないかと感じた。けれど聞くことはできなかった。肯定された時、どうしたらいいのかわからなかったのだ。
 まあ、いいか。今は楽園にいるのだから。
 だが何となく予感がしていた。手袋のせいではないかと。

 数日後、蒲生創平の死亡記事が出た。死因は心筋梗塞。
 俺の頭に再びあの夜の蒲生の姿が再生される。そして疑問も。
 あの手袋たちは、本当に単に優れた技術や神業を生み出すだけなのか。
 それとも。

 また手袋がひとつ売れた。
 それは女優の手だった。若くして死んだ演技派の名女優。
 買いに来たのは、美貌だがヘボ演技しかできないので有名な大根役者の女優だった。もともと外見と色気だけのアイドルで歌はそこそこ。けれど人気だけはあったため、テレビドラマに出演を重ねていた歌手だ。しかし本人は女優だと言っている。まあ芸能界に興味のない人間でも、顔と名前くらいは知っているというぐらいに、つまりかなり「有名」ではあった。芸名を新見貴子と言う。

 しばらくしたある夜、俺はひまつぶしにつけたテレビドラマで新見貴子を久しぶりに見た。素人の俺にもわかるほど演技が、以前の大根役者ぶりではなくなっていた。あいかわらずのわざとらしい棒読みではあったが、動きや表情は格段に良くなっているのがわかる。何と言っても、手の動きが魅力的で華がある。あの手袋のせいかと、俺は新見貴子の両手を睨んだ。けれどその手が手袋なのか、本物なのかは分からなかった。唯一判断できる手袋と腕との境目も長袖によって隠されていたために俺には判断できなかった。
 けれど間違いない。手袋を使ったのだ。
 俺は翌日、芸能記事の乗った雑誌を数冊買い込んだ。思った通り、新見貴子は急激に実力をつけている。実力派俳優しか使わない映画監督からも声が掛かっているらしい。俺のような素人にも判断できるのだから、芸能関係者が目をつけないはずはなかった。新見貴子は各界から褒められっぱなしだった。複数の雑誌の表紙も巻頭特集をも飾っている。
 女優としていよいよこれから人生が始まろうとしている。結構なことじゃないか。
 だが俺は嫌な予感がしていた。蒲生創平の死のことを思い出したのだ。何の根拠もないのだが何となく嫌な感じがする。しかし色々な手袋を仕事に使っている義兄の身には何も起こってはいない。異常だったのは、あの蒲生の時だけか。そうならいいのだが。
 そうだ。手袋を仕事に使っている義兄の身には何も起こっていない。俺の悩みすぎなんだろう。

 新見貴子がしばらく仕事は休養すると言う記事が雑誌に載った。決まりかけていた夏向けのドラマをキャンセルしたと言うのだ。今、一番話題性のある女優だと言うのに、長期休暇を取るとは、妊娠か? 重病か? たんなるわがままか?と各雑誌は騒ぎ立てていた。
 やはりそうだ。新見貴子は手袋を使っているのだ。だから手袋と自分の腕との境目を隠すために長袖を着る必要がある。だから半袖の夏服を着なければならない夏向けのドラマから降りたんだ。
 俺は確信した。

 義兄の部屋で演劇のチケットを見つけた。名女優の手袋を買っていったあの女優が主演のものだった。美貌だがヘボ演技しかできなかったのに、急激に本格演技派女優に変化した新見貴子。数カ月ぶりの舞台だそうだ。題目は「黒蜥蜴」。妖しい演技と色っぽい体は確かに適役だ。
 俺も行きたいと言うと、義兄には別の機会にと言われたが、俺は納得しなかった。今、新見貴子がどんな様子か見ておきたかったのだ。やつれていないか。破滅していないか。なんと言っても、あの手袋の購入者だ。どうなっているのか気になる。
 俺があまりにしつこく頼み込むと、義兄はやっとのことでしぶしぶながら承知した。
 さっそく義兄と出掛けてみると、なんとマスコミ向けの公開リハーサル日だと言う。そんなチケットを義兄がどうやって手に入れたのかと思ったが、多分新見貴子本人から貰ったんだろうと思い当たった。

 妖しい魅力を持つ残酷な怪盗「黒蜥蜴」の役は新見貴子に適役だった。演技もますます冴えていた。まわりの役者たちも実力のある役者ぞろいのはずなのに、彼女一人がぬきんでて見える。新見貴子が手を伸ばすだけで、観客の視線は彼女の手に惹きつけられてしまう。
 前半が終わって休憩の時、観客たちはこぞって大女優新見貴子の復活を讃える声で熱気づいていた。すでにマスコミ関係者の半数が、記事にしようと演劇場を後にしていた。すでに写真は舞台が始まる前の舞台挨拶で写してあるのだ。舞台が始まるとカメラマンは外に出されていたから、今残っているのは書き手や評論家あたりだろう。
 最後に怪盗「黒蜥蜴」は、名探偵明智小五郎に追い詰められ、毒をあおって死ぬことになっている。これで舞台は幕となる。
 「黒蜥蜴」に扮した新見貴子が、話し疲れたと言うようにグラスにワインを注ぐ。そうして名探偵明智小五郎の謎解きが終わると共に、そのワインを一気に飲み下した。
 「う、ぐぅ」
 と人に死の恐怖感を与えるような嫌な声を「黒蜥蜴」が喉の奥から発する。俺は全身がぞくぞくと恐怖で痺れるのを感じた。平凡な俳優は死ぬ場面を演じるとき、だいたい滑稽なまでに大げさな身振りで、見ている方を白けさせるだけなのだが「黒蜥蜴」の演技は違った。演技だけで見ている方にも死の恐怖感を与えるなんて、休んでいたはずなのに、ますます演技力が増したな、と俺は思った。
 どさり、
と「黒蜥蜴」の体が床に倒れる。
 これは演技だ。

 「黒蜥蜴」を演じていた新見貴子は死んでいた。
 舞台上で飲んだ毒は本物だったのだ。観客は新見貴子が死ぬ場面を見ていた。

 死んだ女優の体を取り囲むように人々が集まる。女優の体にはオレンジ色の毛布が掛けられていた。体をおおっているオレンジ色の布の端から白い両手が見える。義兄は舞台祝いとして飾られていた花の中から白百合を抜き取ると、素早く女優の死体に駆け寄り、いきなり毛布の上から死体にしがみついた。あわてて周りの人間が引き離しに入る。が、義兄の体が女優から引き離されてみると、あざやかなオレンジ色の布の上に、白百合が一輪供えられているのが誰の目にもはっきりと見えた。
 本当は警察が来るまでは、このままにしておかなければならないのだが、誰も義兄の行為に文句をつける人間はいなかった。皆、女優の死を悼んでいたのだ。せめて花の一輪でもなければ女優があまりにもかわいそうだった。
 ほどなくし警察が到着し、女優の死は自殺と断定され、観客たちは開放された。

 「あんなことするなんて以外だな。そんなにも、あの女のファンだったなんて知らなかった」
 演劇場からの帰り道、俺が無愛想に言うと、義兄はいたずらっぽく笑ってコートから手袋を取り出してみせた。白い義兄の両手に握られたもうひとつの白い手。
 「女優の手を回収していたのか」
 俺は誰かに見られやしないかと、あわてて周囲を見回した。幸い近くにも遠くにも人影はなかった。
 「これは返してもらわないと。貴重なものだから」
 義兄は再び両手をコートのポケットに突っ込んだ。
 「でも、よく盗めたなあ。誰にも気づかれずに」
 「スリの手を使ったんですよ」
 義兄は何でもないというように言い放った。
 「なるほど。それにしても、何で新見貴子は自殺なんかしたのかな。しかも舞台の上でなんか」
 俺は話題を変えようと大きな声で言った。これ以上手袋のことには触れたくない。
 「あの死の場面は、大根役者が演じられる最高の演技だった。苦しみ方といい、死の恐怖感といい」
 「でもあの手袋をしていた以上、いい演技を演じることができていたはずなのに」
 俺は納得がいかなかった。
 「だけど体も声もあくまでも大根役者のものだから」
 「だけどあの手袋があれば、どんなこともできるんだろう?」
 「できるよ。けれど手袋は超一流の人間の手だから。女優の演技に満足しなかったのだろうね」
 義兄は静かに言った。まるで物言わぬ手袋の気持ちを代弁しているかのように。
 まさか。
 俺はある考えに思い至った。
 自分の思考が自分の意思とは離れて進んでいくのをとめることができなくなる。義兄の目に吸い付けられる。どこまでも澄んだ色素の薄いきれいな目だ。
 「名演技を目指しつづけた名女優の手は、下手な大根役者の体に満足していなかったと言うことだね。身振りは素晴らしかったが声はまだまだだった。だから名演技を大根役者にさせようとしたんだろうね」
 義兄は、さらりと言ってのけた。
 「それで『本物』の毒を?」
 俺は乾く喉を邪魔に感じながらも、反射的に聞いていた。本物の毒を盛ったのは「手」自身だと言うのか。
 「おかげで私たち素人が見ても判断できるほどの『毒を飲まされて断末魔に苦しみ死ぬ女』の役を見せてくれたというわけかな」
 義兄は死んだ女のことなど、まるで気にとめていなかった。義兄が興味があるのは、あくまでも手袋たちなのだと俺はこの時に悟った。
 大根役者には死人を演じることはできない。だから死人にしたというのか。名女優の「手」自身が納得のいく名演技を演じるために。
 そうか。
 「だから練習をしない、舞台にも立たずに遊び呆けている体の持ち主を裏切って殺してしまったというわけなんだな」
 俺は少し納得がいく。
 「違いますよ。『手』たちは裏切ったりしません。自分の技に自信と誇りを持っているから。わざと失敗して恥をかかせてやろうなんて考えない。体の持ち主の失敗は自分の技の失敗になるからね。手袋たちは持ち主を必ず、その最高の技で成功させる。自分の最高の技を使うこと。それこそが手たちの望むことだから」
 「手袋たちは無能な人間たちに利用されて嫌じゃないのかな」
 俺には手たちが無能な人間から逃げるために、人間を殺しているように思えた。
 「むしろ使われて喜んでいるよ。また自分の仕事をすることができてね。使われている手たちは喜びに輝いている。使われずに飾り続けられ埃に埋もれて滅んでゆく楽器のような哀しさがない。出番を待っているのだよ。心ある楽器はね、どんなに腕の悪いひき手であっても、その楽器を愛して会話をしながら毎日奏でてくれる持ち手を待っているものなんだよ。そんな暮らしが楽器にとっては最大の喜び。手たちも同じだよ」
 義兄は俺が警察に義兄を突き出すことなんて、まるで心配していないようだ。俺は義兄の横顔をそっと盗み見た。
 「なんで──なんで今日、死ぬってわかったんだよ」
 俺はどうするべきか分からないでいた。俺には義兄を警察に突き出す気なんてない。
 「数カ月ぶりの公演だったからですよ。名女優は誰よりも演ずるのが好きなのです。それなのに夏向けの作品に出ない間は、休暇を取って練習もしない生活には耐えられない。そんな怠惰な生活を送るくらいなら、生涯に一度だけでも最高の演技をして死ぬことを望むでしょうね」
 そこまで自分の手で造りだすよろこびを愛している手たちと、優れた技など自分が注目されるための手段にすぎないとする人間との、何という対照的な違いか。俺はそんなことを思った。

 俺は結局、今までどおり義兄とつきあっていた。警察には行っていない。それよりも気になる疑問があった。
 義兄の家にある手袋は、すべて超一流の腕をした手たち。買いに来る客は凡人はかり。だから手袋の方が、思いどおりに動かない体に満足しないというわけか。体のほうは手から生み出される技に満足することができても。
 じゃあ何故、義兄は破滅しない? 手袋を使っているのが短期間だからか?


第3話へ続く