206号室

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206号室

 ホテル『胡桃割り館』 206号室 
 私は朝早くから、ずっと電車やバスに揺られて目的地にたどり着き、先ほどやっと温泉に入り、夕食後のひとときを、この静かな空間でくつろいでいるところである。
 窓の外はすでに暗い。開け放たれた窓から、適度な湿度を持った涼しい風がゆっくりと入ってくる。真夏の都会の窓は、開けていても何の空気の変化もないが、高原地では、窓という存在にも意味があるらしい。虫が入ってくるのではないかと言う心配はあったが、ホテル中にたちこめているハーブの香りを虫が嫌うのか、それともこの涼しさで、虫の活動が停止しているのかは分からなかったが、とにかく虫に神経をかき乱されることもなく、心地よい微風に身をゆだねて、私はこの地に来たことを感謝していた。
 ふと部屋の中を改めて見回してみた。ホテルというのは、旅館もそうだが、たいしてかわりばえがしないものだ。薄暗い間接照明。ベッド。鏡。テーブル。壁にかけられた絵画。床の絨毯。窓は一箇所。椅子。ソファ。サイドテーブルに電話。
 このホテルの変わっているところは、室内に冷蔵庫が置かれていないところだ。夜中に騒音をたてる冷蔵庫がないのは、私にはありがたい。ふとガラス張りの棚に目を向けた時に、本が並べられているのが見え、私は椅子から立ち上がり近寄ってみた。
 一番上の段には、聖書、仏教聖典に続いて「県の歴史」「地方の伝説」「町紀行」などの郷土史関連の本と、観光案内の地味な背表紙が並んでいる。二段目以下は、「○○の里殺人事件」「○○祭り殺人事件」「○○温泉殺人事件」「○○殺人ツアー」と言った感じの色鮮やかな推理小説が並べ立てられていた。○○の中には、この辺りの地名などが入っている。
 オーナーの趣味で置いているのだろうかと思いながら、数冊の本を取り出して、表紙をめくってみると、胡桃割り館書庫所蔵という蔵書票が貼られていた。
 確かめてみると、一番下の棚の本はすべて、出版社の欄が、胡桃割り館書庫と書かれていた。2~3冊めくってみたところ、内容に統一性はないようだった。なんとなく興味を覚えた私は、そのうちの1冊を手に取り、ソファへと移動した。窓際に置かれた間接照明は少し明るめで、本を読むのに都合がよかったからである。
 今夜は、この本を読んで暇をつぶすことにしよう。どうせ、眠くなったら寝てしまえばいいのだから。



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